電子版より紙が好き! ニワカが紙の魅力を考察してみた

紙が好きだ。でも、すっごく好きなオタクじゃない。ちょっとした好きを心に秘めることができないで、堂々と宣言するだけのニワカである。触れたとて「ぬめり感、が足りないですね」なんて感想は絶対に出てこないし、そもそもよく知っているわけでもない。だけどどうしてなんだろう、やっぱりなぜか紙がいい。勉強も、日記も、手帳も、辞書も……新聞も。15日からは「新聞週間」。紙の魅力をニワカなりに考えながら、なぜ自分が電子版ではなく紙を選ぶのか考察する。

 

1. 根拠のない信頼感

紙の辞書へのわたしの厚い信頼は、実は根拠のないものなんじゃないだろうか。『広辞苑』をめくると安心する……と書くとちょっと気持ち悪いけれど、心にぴったり当てはまる言葉は「安心」だ。電子辞書を選ばないのは「記憶が定着しないから」なんて難しい理由じゃない、もっと単純に「信頼できない」から。

紙の辞書の性質の一つは、羅列された数々の言葉。今すぐわたしの知識になるかもしれない、あるいはいつか役に立つかもしれない言葉や用法が並ぶ。言い換えれば、そこには無数の選択肢がある。簡単に答えに辿り着けたら「他にも答えがあったらどうしよう」と不安になるけれど、紙辞書では言葉が大量に並んでいるのが自然と目に入る。必要な情報はたぶん全部書いてあるだろうと勘違いするほどだ。冷静に考えてみれば、すぐに知識が身に付くわけではないし、書いてあることがすべてじゃないのはデジタルと同じ。むしろ情報量だけでいえば、デジタルの方が多いのだが。

つまりもはや理屈ではなく、紙だからというだけで、わたしは紙辞書を選ぶのだ。紙にさえ印刷されていれば、正しい情報である気がする。それは、デジタルと紙のゆきすぎた比較の結果なのかもしれない。ネット情報は玉石混交、デジタルは効率化された情報しかない……。インターネットの身近さが当たり前の時代に生まれたわたしたちは、その使い方や注意点をいやというほど教わってきた。裏返せば、相対的に紙媒体が持ち上げられてきたとはいえないだろうか。

したがって、電子版の新聞を選ばないわたしなりの理由は「なんとなく情報が足りなそうで不安だから」である。もちろん関連の記事をすぐ読めることで、いくつかのテーマについての知識は深まるかもしれないが、紙への信頼の根底にある「一覧性」は欠かせないのだ。

 

2. 素材の奥行き

いつもはあまり意識しないが、紙の質感や温度、手触りに、心を動かされることが実はよくある。上質な和紙は、毛筆で字を書くと心地いい。コピー機から出てきたばかりの、ほのかに温かい紙はなぜか愛おしい。ちょっと贅沢なルーズリーフは、勉強がいつもよりはかどる。厚みのある素敵な質感の表紙の本は、一生大事にしたくなる。

名古屋市には「紙の温度」という小さな紙の専門店がある。そこには2万点もの色とりどりの紙や紙製品がずらりと並び、夢のような景色が広がっている。店名の由来は「和紙の温もりを伝えたい」という思い。手触りも、厚みも、模様も……。一枚一枚の違いを、じっくりと見て、やさしく触れて、実際に自分自身で感じることができるのは、他の店にはない魅力だ。

そのお店では、何種類ものおもしろい紙を見つけることができる。たとえば、米粉の入った和紙「米粉入楮紙(こめこいりこうぞがみ)」。江戸時代に紙が米よりも高価だったときは、米を紙に入れて紙の量を増やし、年貢として納めたのだという。紙にまつわる歴史や伝統、物語は数え切れないほどあり、人々の生活に深く結び付いてきた。今まで知らなかった紙を知ること、それは新たな世界との出会いだ。

紙という素材には奥行きがある。日本の伝統的な手漉き和紙は言うまでもなく魅力的だし、世界中にたくさんの紙があふれている。用途によって選ばれ、日常のさまざまな場面で使われている一見ありふれた紙だって、生活の質を変える力がある。ぴったりの紙に出会えたなら、心の底から喜びたくなる。おしゃれなデザインのウェブサイトに出会うこととは、ときめきの質が違うのだ。

電子版の新聞が今後どれだけ素敵なレイアウトになったとしても、紙を手に取る魅力にはおそらくかなわないだろう。それは言葉では表しがたい、紙という素材の持つ不思議な引力のせいだ。