「教養」ってなんだろう? 書店を見て気づいたこと

書店で本の表紙やタイトルを眺めるのが趣味だ。集合時間より少し早くついて友人を待つとき、バイトや大学の授業終わりなど。ちょっとした時間に書店に立ち寄り、手に取るわけでもなく、陳列された本を見て歩く習慣がある。

最近、ふと目につくようになった言葉が「教養」だ。「教養としての〇〇」、「〜で身に付く教養」など、言い回しは様々であるが、タイトルや帯でこの言葉やこれに類する意味の表現を見つける。

書店だけではない。YouTubeでも「教養」を売りにしたチャンネルが多数存在する。これらの本や動画では、あるテーマや作品のストーリーなどについて簡潔に説明し、ざっと理解できるようなものが多い。例えば、1ページで歴史上の出来事がまとめてあるもの。動画であれば有名芸能人が時事問題や古典の名作、話題のビジネス書をわかりやすく解説するもの、アニメーションやマンガにして短時間で理解できるようなものがある。

これらは、この映画はこんな話、何年にどこでどんなことが起きたといったように、作品やストーリー、出来事や考え方の「内容」を知ることに重きを置いたものだと感じる。

たくさんの情報が溢れかえる現代では、知らないことで話についていけないことがある。数年前にマンガ「鬼滅の刃」が流行した際は、友人たちが好きなキャラや最新話の話題で盛り上がる中、全く読んでいなかった筆者は、黙って適当な相槌を打つことしかできなかった。大学の教授などの年代の方が言うには、昔は「これだけは読んでおけ」という本があったそうだ。一方で、価値観や趣味嗜好が多様化する現代では、「全てを知るのは難しい。それでも流行の話題にはついていきたい」。短時間で簡単に教養を身につけようという流れは、知らないことで話についていけない、話題が広がらないためビジネスやプライベートでのチャンスを逃してしまうという危機感からきているのではないかと思う。

「教養」とはなんだろうか。辞書で調べると、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」、「社会生活を営む上で必要な文化に関する必要な知識」、「人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす。」などとあった。

今、流行りの「教養」は知識やすぐに役立つ情報を得ること、知っておくことという意味で使われていると思う。

「わかりやすいと言うことは、実は不親切で不誠実なのです。」

大学の講義で、先生がふと発した言葉が印象に残っている。わかりやすくすることは、あるテーマを学ぶにあたって、本当は知っておいた方が良い部分や考えを深めるきっかけとなる部分、主要な説とは異なる考えを切り落としてしまうことに繋がる。だから、わかりやすいものに流されず、わかりにくいもの、面倒くさいものにぶつかりながら知識を深めてほしいと話していた。

社会人になり、多忙な生活を送りながら、大量の情報に接しなければいけないとなると1つの物事を深く知り学ぼうとすることは、労力がかかり難しいことなのかもしれない。それでも、何かについて表面上の知識だけ持っていればいいとも思えない。ただ知っていることとそこから一歩進んだ意味での「教養」。この2つとどう向き合い、どのように学んでいくのか、これからも考えたい。

 

参考記事:

10月8日付読売新聞オンライン「学び直し拠点 全国19か所…厚労省、来年度設置 デジタル人材育成」

https://www.yomiuri.co.jp/national/20221008-OYT1T50017/