「民」がもたらす検閲

「GAFA」という言葉を聞いたことはありますか?

GAFAとは、Google、Amazon、Facebook、Appleの頭文字から成る、IT業界でトップを走る世界最大規模の企業群を指します。

いずれも、巨大なプラットフォームを有し、様々な分野にビジネスの枝葉を伸ばしています。例えば、最初は検索エンジンで財を成したGoogleは、今ではそれに留まらず自社製のスマートフォンの販売なども手掛けています。

このコロナ禍でAmazonの恩恵を受けた人は多いのではないでしょうか。外出せずとも必要な物が手軽に購入でき、Prime会員になれば映画などの動画コンテンツを楽しめ、ステイホームを乗り切れたのはAmazonのおかげという人も少なからずいると思います。実際に筆者一家もそうでした。

しかしながら、この限られた企業だけで消費者のニーズを満たせているということは、翻ってみれば、市場が過度の独占状態にあるという事を意味します。GAFAを巡る問題はこれだけではありません。特にFacebookなどSNSを提供する企業では、その企業が成長すればするほど、社会的責任も大きくなると考えられます。今年の1月に、連邦議会議事堂の一時占拠事件を受けて、Facebook社はアメリカのトランプ前大統領に対してアカウントの利用停止措置を講じました。

SNSが主要な意見の発信場所となっている今日では、発言の削除を超え、発言する権利さえも奪うのは、主体が公権力でなくとも「検閲」とほぼ同じ作用を持つと考えます。

以前は、SNSというのは国の手から離れて市民が自由に意見を言える「思想の自由市場」だとシンプルに思えましたが、最近ではそのプラットフォームが巨大になり過ぎ、企業の社会的責任などが絡み合い、一概にそう言い切ることが難しくなっています。国とSNSは「官」と「民」という違いはあるものの、実際には表裏一体の関係にあるのだと思われます。

日本では、トランプ前大統領のような大々的な事例はないけれども、より小さな規模でTwitterでの誹謗中傷が刑事事件に発展することが近頃では見受けられます。SNS上では現実世界よりも、他者を傷つけることへのハードルが低くなっており、間違った「『思想の自由』第一主義」がそこにはあるのかもしれません。日本には「2ちゃんねる」など、「掲示板」「スレッド」というジャンルのSNSも存在し、人々が様々な媒体に容易にアクセスできます。その点では、誰にでも発言の門戸は開かれていると言えます。ですが、同時に、しようと思えば何でも書き込めてしまうからこそ、私たちの心の中で、一度踏み留まるということも必要になるのではないでしょうか。

 

参考記事:

5日付 読売新聞朝刊(東京13版)9面「EUと英 FBを調査へ データ不正利用疑いで」

5日付 読売新聞夕刊(東京4版)1面「トランプ氏 FB2年停止」