【特集】「ミソフォニア(音嫌悪症)」 患者に聞いた生きづらさ(後編)

特定の日常音に対して異常な嫌悪感を覚える障害「ミソフォニア」について、二部構成で報告しています。

ミソフォニアの詳細な説明は前編をご覧ください。後編である今回は、「日本ミソフォニア協会」を立ち上げた高岡稜さんと、そのメンバーの計二人の大学生にお話を聞きました。当事者の声と共に、社会がどのように向き合っていけばいいのか考えます。

 

『家族と一緒にご飯を食べることができなかった』 高岡稜さん

発症したのは小学校5年生の頃。鼻をすする音や咳払いなど10個くらいの苦手な音(以後トリガー音と表記)を意識するようになり、生活に支障が出るようになりました。学校や塾では、トリガー音を聞くと激しい嫌悪感を覚え、集中力がなくなる症状に悩まされ続けてきました。テストや受験の際は、症状のせいで集中力が持たず大変だったと言います。

特に苦労したのが家庭での食事。家族の咀嚼音に対する嫌悪感に耐えられず、自室でご飯を食べるようになりました。「真に受けてもらえなかったらどうしよう」「気を使わせたくない」との思いから、友人にも家族にも症状のことは言えなかったそうです。高校を卒業するまで、一度も家族と食事を共にすることはありませんでした。

高岡さんは、大学に入る前に「YouTubeでトリガー音をあえて聞く」という自己流の治療法を数か月つづけ、症状を克服できたそうです。ただ、人によっては症状が重くなることも考えられるので、必ずしも推奨はできないと仰っていました。

 

『真面目にとらえてもらえない』 Nさんの悩み

都内の大学に通うNさんは、最近日本ミソフォニア協会に入った一人です。鼻をすする音と咀嚼音が苦手で、その症状を今も抱えています。そんな彼女は、社会の症状に対する理解の無さを痛感しています。

中三の終わりの頃に症状を自覚しはじめ、高校2年生の頃にSNSやインターネットを通じてミソフォニアの存在を知ったNさん。その後病院に行くものの、最初の病院では「気にしすぎじゃない?」とまともに取り合ってもらえなかったそうです。3つ目の大きな大学病院で、初めて「音恐怖症」という疾患の診断書を書いてもらい、今は2~3月に一回、そこで診てもらっています。ミソフォニアは依然として医学的な定義が不明確なため、医師からも理解されにくい現状があるのでしょう。また、症状を友人に打ち明けた際も、ある程度の理解こそ示してくれるものの行動が伴わないことが多い現実があります。深刻さは伝わりにくかったといいます。

それでも、良かったこともありました。高校では、保健室の先生が症状に理解を示してくれたのです。音が気になりだし、授業どころでなくなった時には、いつでも保健室に行くことができました。高校の定期テストも別室受験で対応してもらえたそうです。しかし、大学では大教室の授業など苦労が絶えないとも仰っていました。

 

■日本ミソフォニア協会について

そんなお二人が所属する「日本ミソフォニア協会」は、2020年の6月に高岡さんが立ち上げた非営利団体です。現在、当事者の社会人を含めた14人が所属しており、ミソフォニアの啓蒙活動やLINEでの相談支援などに取り組んでいます。

ミソフォニアの患者は、「表立った症状が無い」という特徴から障害かどうか気づきにくく、一人で悩まれている方が多いといいます。そして、医者に相談したい要望は多くあるものの、どこの病院に行ったら良いかなど、医療の面でも悩みは尽きません。そうした問題の解決のために、ミソフォニアの社会的な知名度の向上や情報収集、患者同士の交流作りなどを進めていると言います。

先月作成されたポスター 認知度向上と当事者支援の拡大に取り組んでいる

■伝えたいこと

「『気にしすぎ』って言われるのが一番傷つく」

そんなNさんの言葉が印象に残っています。ミソフォニアは認知度が低く、症状が表に出ない分、非常に理解が得にくい障害です。「わがままな奴」扱いするのではなく、理解しようとしてほしいと思います。

そして、特に筆者が重要だと思ったことは、症状の複雑さへの理解です。

例えば、家族と一緒にご飯を食べることができなかったと言う高岡さんも、学校の給食の時間は何とか一緒に食べることができたそうです。そんな矛盾は、Nさんの話からにありました。しかし、わがままでも、おかしいことでもありません。

食べ物の好き嫌いを想像してください。「アレルギーではないけれど、どうしても食べられないもの」がある人は少なくありませんが、それは体調や成長の過程で変化する曖昧なものです。無理すれば食べられる人がいる一方で、口に入れただけで戻してしまう人もいることでしょう。また、「トマトは食べられないけれど、ケチャップは食べられる」なんて人もいますが、これも良く考えれば一貫していません。

聴覚も味覚と同様です。症状に矛盾やばらつきが出るからこそ、患者一人一人に寄り添い、対応しなければなりません。音は食べ物とは違い、自分一人の取り組みだけでは取り除けない場合があります。だからこそ、私達は患者本人が過ごしやすい環境を考えていく必要があると感じました。

 

■最後に

ミソフォニアのトリガー音は多岐にわたります。そのため音を出すこと自体を控える必要もなければ、患者もそれを望んでいるわけではありません。それでも、「日常音に我慢できないほどの不快感を覚える人がいる」ことを知っているだけで、Nさんの出身高校での対応のように、出来ることはあると思います。

また、今回の取材を通じて、ミソフォニアという障がいの苦しみを少しですが理解できたと共に、他の症状で生きづらさを抱えている人もいるのだろうと想像しました。もしそんな人と出会ったとき、世間の常識や自分の価値観にとらわれず、その人のことを考えてあげることができるような人間になりたいと思います。