豪・路上パフォーマー 濱本翠紀さん「毎日最高の日に」

 

「旅する書道家」――シドニーの街角で、様々な作品を並べ正座をして、笑顔で接客する日本人女性に出会いました。迫力ある書体、色鮮やかなイラスト、折り鶴をモチーフにしたイヤリング。異国の地で、ストリートでパフォーマンスをする「バスカー」になる選択をしたその人に、強烈に興味を惹かれ、思わず声をかけました。なぜここにいて、何のために、どんな思いで活動をしているのか。今までどんな道を歩んできたのか。インタビューを通じて見えてきたのは、世界の広さと、誰もが持つ可能性でした。

濱本翠紀(はまもと すいき)さん。1984年生まれ。兵庫県出身。5歳の時に習字を習い始め、大学時代に「文化書道学会」の書道師範を取得。33歳の時に11年勤めた会社を退職し、オーストラリアへ移住。書道の普及に向けバスカーとして活動。

 

 


■異国で塗り変わった価値観

大学1回生の時に行ったシドニー大学での短期語学研修。初めて異国の人々と触れ合った。大学生活で溜まった精神的ストレスが馬鹿らしく思えてきた。体育会系部活の上下関係、理不尽な叱責、形骸的な「やらなきゃいけないこと」――午前10時半になるとお菓子が出てきて「ティーブレイク」を楽しむ。そんなシドニー大の学生たちは、自分のしたいことを追いかけていて、のびのびと、何にも縛られていないように見えた。

帰国して、真っ先に、部活を辞めると宣言した。けれど、すんなりは辞められない。「なんで辞めるの?」。お昼休みには、同期とミーティング、先輩とミーティング。その繰り返しだ。「私も我慢して頑張ってんねんからあんたも頑張れ」。違和感しか覚えないようになった。辞められるまで1ヶ月かかった。

それからの大学、社会人生活では、韓国、ヨーロッパ、東南アジアを回った。新しい人と出会う面白さに魅了された。観光地は選ばず、安宿に泊まり、ローカルなマーケットや裏路地を好んでぶらぶらした。独特の雰囲気、食べ物、そして現地の人々の考え方。カルチャーショックだらけだった。良くも悪くも、「適当」な人たちを目の当たりにした。

1000円以下のランチでも丁寧に接客してくれる日本ほど、サービス精神旺盛な国はなかった。丁寧な仕事には、相応の対価が必要、という感覚が当たり前。採用時に「私だったらもっと成果を出せる」と年俸の交渉を始める人も珍しくなかった。生真面目すぎず、「だいじょうぶよ!」とどんと構えている人ばかり。周りに意見を合わせず、それぞれが自分の主張を持っている。それでも、世界は十分に回っていた。

日本にも良さはある。仕事が丁寧で、時間も約束も守る。ありがとう、ごめんなさいが素直に言えて、協調性がある。海に囲まれた日本だからこそ出来上がった文化でもある。海外的な思考をたくさん取り入れて上手くいく訳ではない。けれど、昔からの習慣が良くない方に作用してしまい、もったいないと感じる場面もある。自分の肌に合うのは、日本より海外かも。そう思い始めた。

 

■海外のバスカーに

年末年始に旅仲間たちとインドに集合したことがあった。「ガンジス川のほとりで書初め大会をしよう」。自分が楽しむために筆と墨を持っていた。友人と書き始めると「私にもやらせてよ」と人が集まってきた。楽しかった。それからは筆と墨を携帯するようになり、イギリスでは試しにと書道をバスキング(路上パフォーマンス)としてやってみた。人々は意外と興味を持ち、楽しんだ分、その対価も与えてくれた。

新卒から11年勤め続けた地域向けフリーペーパーの会社は面白かったし、上司や同僚との関係も良かった。ただ、「自分は定年までこの会社で働き続けるのだろうか」と考えた時、答えはNOだった。世界に出てみたい。今転職するなら、1年くらい日本から離れても変わらないんじゃないか。英語を身につけてきた方が幅は広がる。もっともっと、旅のために遠慮なく長期休みを取れるような働き方もしてみたい。

5歳から当時まで習っていた書道も、好きで得意だった。けれど日本で書道家として食べていくのは簡単なことではない。書の実力だけでなく、その業界での人間関係も必要だ。コネもなければ、自分から入り込む自信もなかった。

条件を並べてみるほど、海外でのバスキングに挑戦するのが一番の選択に思えた。まずはオーストラリアで1年英語を学びながら、バスキングをしてみる。失敗しても戻ってこればいい。東京五輪景気で、きっと仕事もあるだろう。やらずに後悔するくらいならやって後悔した方が良い。周りに相談する前に、ほとんど渡豪の決意は固まった。

 

■バスキングの魅力

初めはブリズベンで英語を学びながら活動した。バスカーに対する規制が厳しいこの街では、なかなか思うようにいかなかった。シドニーやメルボルンと比べて規模も小さく、同じ道を同じ人ばかりが通る。コロナのせいでロックダウンにも見舞われた。

けれど、この仕事は魅力的だった。道ゆく、最初は全く興味を持っていなかった人たちが、自分を見てすごいと笑ってくれる。名も知らぬ人同士でできる温かな輪が好きだった。ステージと違い、足を止めてもらうかどうかもスキルが問われる。稼げないのは自分の魅せ方が悪いせい。逆に腕が上がればきちんと返ってくる。大変で、そこが面白かった。

バスキング仲間もできた。パフォーマンスは違えど、場所や時間、魅せ方の基本は同じ。たくさんのアドバイスをくれた。一生を共にする、マジシャンの結婚相手とも出会った。

コロナが明け、より人通りの多いシドニーに移動してからは、バスキングが軌道に乗り始めた。今では一番の収入源だ。オーストラリアでは、たとえ持ち金が少なくても、芸術作品に興味を持ちお金を払う人が多い。給料が入るまで待ってくれと言いながら、60ドルのアクセサリーを注文してくる、なんて人もいた。毎日本当に色々な人と関わる。

路上で声をかけられ、受けられそうな仕事は大体受けた。得意な絵と書道を組み合わせたりもした。ベルトに絵を描いたり、壁に書を記したり。ジャパニーズフェスティバルで水引のワークショップをする依頼もあった。やったことなんてなかったけれど、「やってみます」。依頼先行で、活躍の幅を広げていった。

▲独学で試行錯誤しながら作った水引のイヤリング。

 

■「楽しく生きる」

人生で大切にしているものは何かと問われれば、答えは一つしかない。「楽しく生きる」だ。いつ怪我をするか、死ぬのかはわからない。今日が最高の日になるように生きるのが一番だ。例えば海外に行ってみたいと思うとき、「今仕事忙しいから」「休める雰囲気じゃないから」と尻込みする人は多い。「休めない」というわけではないのに。もちろん仕事を疎かにするのはいけないが、自分のやりたいことをもっと大事にしてあげても良い。自分のやりたいことを仕事にするか、プライベートのために仕事を楽しむか。やりたいことでもないのに、休みも楽しめないのに同じ仕事を続けるのはもったいない。

人生そんな甘くないよなんて言われるかもしれないけれど、他人が決めることじゃない。多少失敗しても、やりたいことにチャレンジすれば良い。仕事を辞めるのはハードルが高いなら、1週間くらい休みをとって自分の興味のある国や集まりに行って話を聞けば、凝り固まった考え方がほぐれる可能性だってある。1週間くらい一人いなくたって、大抵の会社は回る。お互い様で、皆が休暇を取りやすくなれば良いのに、といつも思う。

やらずに後悔するくらいならやって後悔した方が良い。失敗したって経験値になる。一歩踏み出せば、2歩も3歩も楽になる。夢を追いかけるのを止めるのは、周りではなく自分だ。やめとけと言われたって、最終的にやめるかどうか決めるのは自分。叶えるかどうかは自分次第だ。そんな人生哲学ができていった。


 

今後も色々な国を訪れバスキングを続けたい、ゆくゆくは書道教室もやりたい、と教えてくれた濱本さん。「精神を集中して納得いく文字を書き上げるという書道の魅力を、日本の文字の形も知らない人に伝えるのはなかなか難しいけどね。色々思案中です」と笑顔で展望を語ってくれました。生き方の選択肢は無限にある、自分に合う方向はきっと見つかるよと、22歳の筆者の背中も押してくれました。

語学留学で夏休みにオーストラリアを訪ね、ふらふらとお散歩をしていたら、生き方を教えてくれる人に出会いました。狭まりかけていた選択肢をぐいっと広げ、ティーブレイクでも取りながら、自分に広がる可能性に思いを馳せてみようと思います。

▲書:濱本翠紀さん