ひきこもりは他人事ではない

昨日、ひきこもりの息子を手にかけた罪で懲役6年を言い渡された元農水省次官が保釈されました。殺人罪で実刑判決を受けた被告が保釈されるのは異例のことです。今年は、ひきこもりが関わる事件が多かったと感じています。川崎での20人殺傷、新幹線の車内での殺人などが真っ先に思い浮かびました。これらを機に「ひきこもり」=犯罪者予備軍と思い込む人も少なくないはずです。

そもそも、ひきこもりとは、厚生労働省の定義によると「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」を指します。その主なきっかけとしては、中・高・大学での学校生活、就活での挫折などが挙げられます。これは誰にでも訪れる人生のターニングポイントです。筆者も来年から新社会人、環境の変化は避けられません。どんな場所で働くのか楽しみですが、その一方で、会社に適応できず逃げ出してしまうのでは、という怖さもあります。

近年8050問題と言われるようになり、ひきこもりが注目されています。8050問題は、80代の親が50代の子の生活を支えている状態のことです。そこで初めにとりあげた元次官がひきこもりがちな息子を殺害した事件について考えます。

テレビやインターネットを見ていると、「誰かに相談していれば」「被告の社会的立場ゆえに誰にも相談できなかった」という意見を見かけます。ですが、20年前にそんなことがいわれていたのかと思うのです。自分で何とかしろ、我慢が足りないといった論調が主流だったのではないでしょうか。当事者、その保護者へも冷たく接する時代があったからこそ、今になって問題が表面化しているのだと思います。

社会との接点が少なくなるから家から出たくなくなり、ひきこもるのではと考えています。家以外に居場所が無いのであれば、それを見つけること。社会として、そうした場を提供する取り組みが欠かせません。

ニュースをみていて、他人事でなく、自分もそうなる可能性があるものと考えされられる1年でした。先日、内定先の会社で「間違っても同業者しか友だちがいないなんてことにならないように、友人を大切に」と言われました。働いていて辛くなっても、気軽に相談できる人を大切にすることがそうならない方法かなと思っています。

参考記事:
今日付 読売新聞朝刊 13S版 33面 (社会)「実刑判決の元次官 保釈」