「余命3年」全国を駆け回る社長と現実

医者に余命10年と言われて、7年。入院することが増え、死を猛烈に意識する。

 そんな印象的な文章から朝日新聞「ひと」欄は始まりました。小澤輝真さんの話です。彼は札幌で建設会社「北洋建設」を営む3代目社長。ボクシング部創設を認めてもらえず、高校を退学したという変わった経歴を持っています。【記事①】

今年の夏、小澤さんは「余命3年 社長の夢」という本を出版しました。2012年、37歳で脊髄小脳変性症を発症した後、どのようなことをして過ごしてきたのか書かれています。この病気は、小脳が徐々に委縮し、運動機能が衰え、手足が不自由になり、話し方がたどたどしくなっていきます。小澤さん自身、手足を思うように動かせず、話も不明瞭になってきたと記事に書かれています。

余命を宣告されたのち、あることに力を入れ始めます。元受刑者の就労支援です。「出所後に仕事があれば再犯も減らせる。未来の被害者も減らせる」と、全国の刑務所に会社の「従業員募集ポスター」を貼ってもらい、刑務所で面接を重ねています。記事によればこれまで500人超を採用。そのため日本で一番多くの元受刑者を雇う会社と呼ばれているそうです。

なぜ元受刑者の雇用に力を入れるのか。それは日本の再犯罪率に深く関係しています。2017年版犯罪白書によると、16年に検挙された交通事故などを除く刑法犯22万6376人のうち再犯者は11万306人。再犯罪者率は48.7%と過去最高だったようです。

6月11日付の朝日新聞大分版でも同じようなことが書かれており、県内では13~17年の新しい受刑者577人のうち、313人が再犯者で、再入所者率は54・2%。17年に入所した再犯者のうち、約7割は無職だった」そうです。そして無職だった原因について「支えが必要な人が十分な支援を受けられず、再犯を繰り返す悪循環が生まれている」としています。つまり小澤さんの就職支援は、元受刑者たちが再び罪を犯さないための取り組みなのです。【記事②】

しかし、小澤さんの懸命な努力があってもすべての人を救えるわけではありません。課題は山積しています。例えば犯罪歴などを理解したうえで、あらかじめ保護観察所に登録し、出所した元受刑者を雇用する「協力雇用主」という制度。「北洋建設」も協力雇用主の一つなのですが、就労はなかなか進まない現実があります。

先程取り上げた大分発の記事では、この制度について以下のような説明をしています。

大分保護観察所によると協力雇用主が特定の業種に偏っているため、受刑者と企業の間でミスマッチが起きていることが(協力雇用主の企業での元受刑者の就労がなかなか進まないことの)原因の一つという。県内の協力雇用主179社のうち、最多は建設業の96社で、建設は実際に雇用している会社数も最多の7社。ほかの業種は農林漁業や鉱業、製造業など第一次、二次産業が占める。

一方、飲食やサービス業は20社あるが、実際に元受刑者を雇用している企業はない。同所企画調整課の久保山守正課長は「本人が営業職などを希望しても、サービス業は少ないのが現状。幅を広げるため、あらゆる業種に協力雇用主になってほしい」と訴える。

実際、この記事が出る2か月前に実体験が朝日新聞で報じられていました。「伝統工芸、刑務所で技術継承 受刑者『短気→辛抱強く』」です。記事では1880年ごろから刑務作業に採用された伝統工芸品づくりの歴史を紐解くとともに課題も上げています。例えば大阪刑務所です。【記事③】

大阪刑務所では唐木細工のほか、大阪府の無形民俗文化財「堺の手織緞通(だんつう)」の技術を継承している。地元の堺市に頼まれ、1994年に採り入れた。江戸後期に製造が始まったものの、戦争などを経て担い手はほぼいなくなった。堺市などによると、買えるのは大阪刑務所でつくられたものだけだ。ただ、こうした刑務作業が出所後の仕事に結びついていないのも実情だ。法務省は、伝統工芸に携わった受刑者が職人になった例を把握していないという。

 

今も小澤さんは病を押して全国を駆け巡っています。再犯防止のために社会は何ができるか、私たちは真剣に考えなければなりません。

 

参考記事:

【記事①】9月11日朝日新聞朝刊東京14版ひと「小澤輝真さん 元受刑者の採用に力を入れる『余命3年』の社長」

【記事②】6月11日朝日新聞大分版「再発防止へ、県が計画 仕事・住居の確保支援」

【記事③】4月13日朝日新聞「伝統工芸、刑務所で技術継承 受刑者『短気→辛抱強く』」

参考資料:

東洋経済7月16日「元受刑者の2人に1人が再犯者になる厳しい現実」