【特集】6月を回顧する 私が引きこもりになった日

6月。梅雨。低気圧。祝日なし。まるで良いことが一つもない。今年は空梅雨の感があるが、例年は雨続きだ。朝日新聞の調査によれば、晴れと雨では圧倒的に晴れが人気のようである。晴れが好きと答えた人が93%もいるのに対し、雨好きはたったの7%しかいない。かく言う私も雨は嫌いだ。濡れた足でじめじめとした街の中を歩く。湿気のせいで身体中がべたべたして気持ちが悪い。気が滅入りそうになる。

4年前の6月、高校3年生だった私を突然のめまいが襲った。顔を上げると、世界がぐらぐらと揺れる。体調が悪いと家族に訴えたが、とりあえず学校に行きなさいと言われ、仕方なく登校した。なんとか教室にたどり着き、机に向かうものの、顔を上げると気分が悪くなる。登校しては保健室に向かう日が数日続いた。そして、ついに家から出られなくなった。

4年経った今でも、なぜそんなことが起きたのかわからない。前月の学校行事で同級生と揉めたからかもしれない。だが、人間関係の悩みなど、思春期真っ盛りの中高時代には日常茶飯事だった。2ヶ月後に迫ったAO入試への不安だったのだろうか。結局は不首尾に終わり、半年後に一般入試を受けることになるのだが、その時には体調不良に悩まされることなどなかった。大学受験を前に将来への不安が大きかったのかもしれない。いや、それは常に変わらないことだ。あるいは6月という季節のせいだろうか。

政府が18日に閣議決定した2019年度版「子ども・若者白書」によれば、仕事も通学も求職もしない「ニート」を含む若年無業者数は、およそ71万人にものぼる。ひきこもりのきっかけとして最も多い「退職」に続くのは、「人間関係」と「病気」だ。

家から出られなくなっても、病院には行かなかった。行く体力も気力もなかったし、精神科を勧められるのが怖かった。とにかく何も考えたくなかった。相も変わらず食欲があることは救いだった。好きなものを好きなだけ食べた。

軽い「六月病」だったのかもしれない。これは正式な医学診断名ではなく、うつ病ほど重くない。一般的に、ヒトが新たな環境に慣れるにはおよそ3カ月を要する。何かと変化の多い年度替わりから2ヶ月が経ったこの時期は、新たな環境になじんでいく途上にある。適応する過程で変化がその人の容量を超えてしまったとき、心身に不調が起こる。このような状態を精神医学では「適応障害」と呼ぶが、「六月病」はそれに近い状態だ。

そうして私は、突然果てしない自由時間を手に入れたのだった。部屋にこもり、布団に横たわりながら、受験が終わるまで見ないと決めていたドラマやマンガに没入した。受験生であることを放棄したのだ。結果的に、この時見たNHKドラマ「坂の上の雲」は、後の日本史の勉強に役立ったが。家族は変わらず接してくれ、家の中では普通に過ごせるようになった。そのうちに体調は回復し、数週間に及んだ不登校生活に終止符が打たれた。何事もなかったかのように学校に通い、受験の戦列に戻った。

この経験から、二つのことを学んだ。一つは、心は難しいものであるということだ。当時、ストレス要因は様々あったが、どれも思い悩むほどのことではなかった。ましてや追い詰められていたわけでもなかった。だから、「大したことはない」「まだまだ頑張れる」と考えていた。それが悪かったのかもしれない。幸いなことに精神面に異常は見られなかったが、SOSは体に現れた。自分を抑えて騙し続ければ、いつか心身ともに壊れてしまう。世の中には、そうして傷ついていく人が大勢いる。時には精神疾患を患い、時には自ら命を絶ってしまう。そうなる前に、助けを求める内なる声に気がつければ良いのだが、つい我慢してしまう。忙しさに流されて見落としてしまう。六月病にかかる人は少なくない。もっと自分を甘やかして大切にしてあげたい。

もう一つは、世界は一つではないということだ。頑張りすぎると、だんだんと視野が狭くなっていき周りが見えなくなってしまう。すると、まるで目の前にあるものだけが現実のように思われて、さらに景色が狭まる。私は、「受験生」「学校」の世界から「何者でもない自分でいられる自由な空間」へと移った。そこで心の疲れを癒す時間に浸った。受験や授業から解放され、たいていのことはどうにかなるのだと前向きになれた。

負の感情が溜まるほど、「〜しなければならない」「自分の居場所はここにしかない」といった固定概念に囚われやすい。もちろん、時には向き合わなければならないこともある。だが、こだわる必要がないこともある。少しでも無理していると感じたら、立ち止まってみる。時には諦めも肝心だ。居場所をいくつも作り、多様な人と関わるようにする。自己や他者、社会を俯瞰して見てみると、考えすぎている自分に気がつき気持ちが楽になる。

川崎殺傷事件、元事務次官による長男殺害事件が立て続けに起きた。ひきこもりに対する世間の目は厳しさを増しているようだが、家という居場所で自分と向き合う時間は必ずしも悪いことではない。ひきこもりイコール危険といった認識は改めてほしい。なぜなら、私は自室にこもった時間を経て、今幸せな日々を過ごしているからだ。あのような体験は、後にも先にもない。当時よりも辛い思いはその後何度も経験したが、楽しく前向きに生きている。

そんな私も来年度から社会人になる。16年間の学生生活に別れを告げるのは寂しいものだが、新天地での仕事人生が今から楽しみだ。これから始まる未来には、数え切れないほどの面白い出来事が待っているだろう。だが同時に、苦しくてどうしようもないことにも直面するはずだ。正直、乗り越えられるか不安で仕方がない。そんな今だからこそ、あの6月の日々を定義し直したいと思った。体調不良の原因は今でも不明だが、「自分を甘やかし」「居場所を増やす」ことの大切さを学んだ。

来年もまた雨の季節がやってくる。日本のどこかで雨空の下を駆けずり回っている自分の姿を思い浮かべてみる。まずは、今年の梅雨を乗り切らなければ。

 

参考記事

8日付 朝日新聞朝刊(東京)10面(週末be)「(be between 読者とつくる)晴れと雨、どちらが好きですか?」

15日付NIKKEI STYLE(日経プラスワン)7面「環境適応、自分の「容量」知る(元気のココロ)」

18日付 日本経済新聞夕刊(東京)11面「ひきこもり、白書で初特集」

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