21世紀のアナログVSデジタル論

「お前は本当にアナログな人間だな」

とても仲の良い友人から言われました。おそらく、未だに電車の切符を券売機で買ったり、スマートフォンの操作がおぼつかないので、ポロッと本音がこぼれたのでしょう。「じゃあキミはデジタル人間なんだ」と反論し、その2つの世界について熱く語り合いました。

そもそも、アナログとデジタルの意味をご存知でしょうか。前者は「連続的なものの状態やシステムを、他の連続的なもので表すこと」、後者は「連続する物事の状態が離散的な数値によって表されること」という意味です。時計を例に挙げると、アナログは長短の針によって、切れ目なく時間を伝えます。しかし、パッと見て必ずしも正確な値を認識することは出来ません。一方、デジタルは数字で表現します。なので、一度見ただけですぐに確認できます。しかし、慣れていない人にとっては、時間を感覚的に捉えることは難しいでしょう。

また、日常会話でアナログは「遅れている」「感覚的」、デジタルは「進んでいる」「理性的」というニュアンスで使われます。ですが、この2つの境界線は、もうなくなりつつあるのではないでしょうか。

まず、サッカーを例に考えてみます。アナログを「スタジアムで観戦」、デジタルを「テレビで観戦」としましょう。この2つを融合させたものが「パブリックビューイング」です。大勢のサポーターと一緒に、巨大スクリーンに向かって応援する。金銭的な面もありますが、時間的に制限のある社会に上手く溶け込んだイベントだと思います。また「VAR機能」も、「主審の判断」と「ビデオでの判断」が合わさっています。

次に、先ほどの「時計」はどうでしょうか。目の前にアナログ時計があります。「これは何ですか?」と質問されて、「アナログ時計だ」と答える人は少数派だと思います。つまり、人によっては「アナログ時計=時計」と認識し、また逆もまた然りです。

では、境界線が曖昧な時代で、社会を構成する「物事」に対し、どう接すればいいのでしょうか。私は「アナログとデジタルという二項対立的な考えをもう一度意識して接するべきだ」と考えます。どちらか一方しか接したことがないというのは、多角的な考えが出来ないことに繋がります。それぞれメリット、デメリットはありますが、それを体験することで新たな価値観が備わり、生活の質も向上すると考えます。

なので、アナログとデジタルを自分なりに使いこなす「ハイブリッド人間」こそ、理想的な姿だと実感します。

参考記事:

31日付 朝日新聞朝刊 13版12面「新聞を購読する若者もいる」