SNS上に自らの愚行や悪行を敢えて掲載する「バカッター」による「バイトテロ」。スマートフォンの爆発的な普及から起こる若者のスマホ依存。
技術革新により世の中は格段に便利になりつつあるが、その一方で変化に適応できない若者がいるのを忘れてはならない。日本でも連日ニュースになった時期があるが、世界に目を向けてみると同じ問題を抱えている国は少なくない。
例えば、「米国」だ。2016年の米国大統領選挙で、ネットやSNSを通じてフェイクニュースが意図的に拡散され、それが選挙結果に影響を与えた事例は記憶に新しい。
今朝の読売新聞朝刊を見ると、
昨今米国では、「ニュース・リテラシー教育」を盛んに行われている。授業はSNSを駆使して得られる大量の情報をどう向き合うべきなのかという内容で進められている。カリキュラムとしては半年間をかけてメディア史や情報の出典を確認するジャーナリズムの技術を学んでいる。
とある。
日本のニュース・リテラシー教育はそうなっているのだろうか。「情報」科目では新聞やテレビ、ネットといった複数の媒体から主体的に情報を読み取る力を養うことを狙いとしているようだ。では、子供たちの実情に合った教育ができているのだろうか。
私が所属する大学ゼミでは、サイバー防犯ボランティア活動を続けている。具体的には、小学校や中学、高校で子ども達や保護者向けにワークショップ形式で授業をし、そこでは主にスマホやネットの使い方を学んでもらう。
私はこのゼミ活動を通じて、年齢が近い「大学生」が先生役を務めることに大きな意義を感じている。なぜなら、小中高生の流行は頻繁に変わり、把握がとても難しいからだ。めまぐるしく変貌するネットサービスに、学校現場や行政だけで対応するのは難しい。
そこに私たちの出番がある。子ども達にとって身近な私たちが、同じ目線で誤った使い方、正しい使用法をレクチャーすることで真剣に聞き、理解してくれていると感じる。そして、日本も米国のように低学年の時からリテラシー教育を行う方向に舵を取るべきだと痛感している。
いま情報の真偽を見抜く力が求めている。SNSの正しい使い方を会得し、たくさんの情報の中から正しいものだけを取捨選択をしなければならない。そのようなスキルはすぐに身につくものではない。私自身も時にはネット上の情報が信じられるのかわからなくなる時がある。
今まで受けてきた「情報」の授業だけでは、このようなスキルや素養を身につけられない時代がきてしまっているのではないか。
一人の若者として、そう感じられてならない。
参考記事:2019年5月25日読売新聞朝刊「世界の学校」
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/newspaper-at-school/20190524-OYT8T50150/
サイバー防犯ボランティア研究会HP: http://cyberlab.sfc.keio.ac.jp/