志をはたして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷
童謡「ふるさと」の歌詞は、日本の古き良き原風景を映し出しています。作詞の高野辰之氏が生まれ育った長野県中野市が舞台となっているといわれていますが、日本人ならどこか懐かしむことができる、心の歌です。
東日本大震災の津波被害を受けた東北3県の沿岸部では、高台への集団移転が進んでいます。読売新聞のまとめでは計308地区で行われています。慣れない暮らしへの負担は大きく、元々小さな集落だったものが移転によってさらに小規模化するケースも出てきています。
そんな中でも、かつての結びつきが事態打開のための一つの策なのかもしれません。読売新聞の今朝の紙面では高台にできた交流拠点が、「地域のつながりを強める場所」になっている例が紹介されていました。皆で一緒に課題を解決していく動きが、町を活性化させるのです。
筆者は2年前の冬に宮城県南三陸町で催された復興ツアーに参加しました。ある高台には、もともとその地点から見えた町の様子の写真が展示されていました。案内していただいた方によると、写真は地元の人が「もともとの町の姿」と「生まれ変わっていく町の姿」を訪れた方に知ってもらうために提供してくれたそうです。
東日本大震災からすでに6年がたち、この時期にならないと世間は「被災地」に注目しなくなってきました。ただ、地元の方々は帰りたくなるふるさとを守り、より魅力的にしていくために一歩ずつ進んでいます。このように歩んでいる地域を、一度訪れてみてはいかがですか。
参考記事:
読売新聞朝刊 東京14版 35面(特別面)「移転しても地域の輪」