避難をする生徒たちのこころのケアを

今から80年前の1944年。東京をはじめとした大都市への敵機の襲来が予想されるようになり、多くの子どもが空襲の心配のない農村地帯へと移動する学童疎開が始まりました。地方に住む親戚を頼る「縁故疎開」と地方のお寺や旅館などを使う「集団疎開」の2つがありました。今月1日の地震の被害を受けた石川県輪島市などにおいて、こうした史実を思い起こさせるような「中学生の集団避難」が行われることが先日決まりました。

本日の各社の紙面では、今月1日に起きた能登半島地震で、深刻な被害がでた輪島市内の市立中学校で、県南部の体験学習施設に集団避難する方針が固まったことが取り上げられています。校舎が避難所として利用されていることや損傷が大きいためだといいます。今回のような家族のもとを離れ、生徒だけでの避難は極めて異例ですが、現時点で市内の生徒401人のうち250人から希望が出ているといいます。今後は輪島だけでなく、珠洲や能登でも同じ形で集団避難をする方向だといい、学習環境などの整備が急がれています。

筆者が集団避難という見出しを見たときに思いだされたのが、戦時中の「疎開」でした。学童疎開をしていた当時の子どもたちは、家族と離れ離れになり、なじみのない土地で勉学に励み、勤労奉仕をすることが求められ、さみしい思いをしていたことをこれまで学んできました。当時と比べると、これから集団避難をする今の生徒たちは携帯を持ち、親と連絡を取ることができます。ただ、いつ何時また地震が発生し、連絡が取れなくなるのかという不安がつきまといます。

「疎開」と「避難」を同列に扱うのは、極端すぎると思われるかもしれません。ただ、筆者はさみしい思いをしていた子どもが多かったという疎開の事実から、集団避難をする生徒たちでもこういった思いをする生徒が少なからず出てくると考えます。たしかに、勉強は学生が全うしなければならないことではあります。ただ、地震に続き集団避難と心に受けた傷や深い悲しみをどう癒していくかも考えないとなりません。「いじめ」や「自殺」、「ヤングケアラー」といった問題では、本人から声を聞くことが重要だと言われています。子どもたちの思いに耳を傾け続ける教員や行政の方々、アドバイザーには、頑張って欲しいと心の底から思います。

 

参考記事

14日付 朝日新聞朝刊(14版)  1面 「中学生避難 250人希望 輪島市 珠洲・能登も打診」

14日付 日経新聞朝刊(12版) 43面 「中学生850人 集団避難調整 能登半島 校舎損傷、授業できず」

14日付 読売新聞朝刊(13版) 39面 「中学集団避難250人同意 輪島3校、401人中」

参考資料

総務省 用語集-戦時中の生活等を知るための用語集(最終閲覧:2024/0114)

総務省 長くつらい林間学校「集団疎開」(最終閲覧:2024/0114)

NHK「追い詰められた子どもたち 学童疎開を語りつぐには(2019年8月7日 大阪局 泉谷圭保記者)」(最終閲覧:2024/0114)