ミャンマー軍のクーデター 今なお余波が及ぶ

福岡市博多区のリトルアジアマーケットは、私にとって思い出の場所である。白菜漬けや卵焼きなどの手作り総菜を販売する店と、アジア各国の料理を提供するレストランが混在するこのカオスな商店街を訪れたのは2年前。ちょうど、ミャンマーでクーデターが発生し、その抗議活動に対する弾圧が国際社会で注目されていた時期だ。母国での政変に対してミャンマーの方はどのような思いを抱いているのかを聞きたく、私はここに足を運んだ。

ただ、ミャンマーの人から話を聞くことはできず、2021年4月17日の私の記事では導入部分で商店街のことを触れるにとどまった。外国人客であふれているものの、誰がミャンマー人なのか見当もつかず、また、ミャンマー人向けの店を切り盛りしている人は忙しく、とても取材どころではないように見えた。人から情報を集めるって案外難しい。商店街近くの公園でそう思いながら、買ってきた筑前煮をほうばった。

福岡市博多区のリトルアジアマーケット(旧吉塚商店街)(8日、筆者撮影)

あれから約2年。国際社会は激変した。当時の私は名前くらいしか知らなかったウクライナの情勢が、新聞の国際面で連日大きく取り上げられる。大国ロシアへの制裁が世界経済にもたらす影響はすさまじく、戦況を注視せざるを得ない状況が続く。ただ一方で、ミャンマーの問題が解決したわけではない。確かに現在はクーデター直後のような混乱こそ収まっているようだが、それは国軍による暴力を用いた徹底的な弾圧があるからで、また、農村部では今でも激しい戦闘が行われていて、毎日のように市民側と軍側の双方に犠牲者が出ている。

遠く離れたここ福岡の地にも、間違いなくその影は落ちている。リトルアジアマーケットにはもともとミャンマー料理屋が1店あったが、筆者が再び訪れた今月8日は「臨時休業」となっていた。看板に載っている電話番号にかけてみたが、「電波の届かないところにあるか番号が使われていない」という音声が流れるだけだった。近隣の店のオーナーらに話を聞くと「突然休みに入った」との声が多く聞かれ、その中に「料理人が手配できなかったようだ」という情報があった。吉塚商店連合組合の関係者によれば、クーデター発生以降、出入国のハードルがかなり上がっており、それが影響しているらしい。政変のわずか2週間前に現地を出て、日本まで運ばれてきた黄金のお釈迦様の像だけが、マーケット内の礼拝所で輝きを放っている。

 

「(母国の状況を)彼らはほとんど何も知らないようだった」。クーデター発生の当初、福岡に住むミャンマー人の様子について、商店連合組合の関係者が教えてくれた。ただ、軍部による支配が常態化したことでそれが次第に市民生活をゆがめ、3800km以上離れた福岡のミャンマー料理屋の臨時休業を招いた。

クーデターの発生といった突発的な出来事に対する世間の注目度は高いが、その影響が世界に広がるまでにはある程度の時間を要する場合がある。その頃まで、人々はこの問題にどれだけ関心を保っているのだろう。

新聞やテレビで取り上げられるニュースは一部に過ぎない。私があらたにすの学生記者を務めた2年間、世間から注目されなくなった社会事象を多く取り上げてきた背景には、こうした思いがある。状況の変化の程度はそれぞれの社会問題によってまちまちだろうが、被害を受けている人は変わらずいる。そうした視点を忘れない人間でありたいと強く思う、リトルアジアマーケット再訪の旅だった。

 

参考記事:

朝日新聞デジタル 3月1日「(取材考記)薄れゆく関心 『平穏』なミャンマー、続く弾圧 福山亜希

NHK国際ニュースナビ 2月1日「【詳しく】ミャンマークーデターから2年でどうなった?専門家に聞く