チュニジアの住居が語る歴史と人々 ベルベル人が隠れるために生み出した家とは?

左奥をよく見ると2か所ほど穴が空いている様子がわかる(3月2日筆者撮影)

「丘に見えるいくつかの穴がベルベル人の住居です」と言われて探してみましたが、一目では見つかりません。

この風景があるのはチュニジア共和国。卒業旅行で行ってきました。アフリカの北部に位置する国で、北は地中海、南はサハラ砂漠に面しています。国土面積は日本の0.4倍ほどで、タツノオトシゴのような縦長い形が特徴です。首都は東京とほぼ同じ緯度に位置するチュニス。国の北部に位置しています。気候は3つに分かれており、沿岸部は地中海性気候で、訪れた3月上旬は温暖な冬でした。中部はステップ気候で、首都チュニスから南下すると次第に丈の低い植物に景色が変化していきます。サハラ砂漠に位置する南部は砂漠気候です。

チュニジアの地図。立地の影響もあり、ヨーロッパ、アフリカ、中東と影響しあってきた(3月8日MAPS.MEの地図をスクリーンショット)

チュニジアは地中海を挟んですぐ向かいにイタリアが位置していること、そのため、古代ローマの時代にローマ人が攻め入ってきたこと、フランスの植民地であったことが影響し、欧州文化がさまざまな場面で見えてきます。例えば言語。公用語はアラビア語ですが、小学2年生からフランス語を学び始め、ほとんどの人は話すことができます。看板もたいていはアラビア語かフランス語表記で、観光客だとわかるとフランス語で挨拶されることが多かったです。また、フランスで医学や薬学を学ぶ人が多く、高度な医療システムがあるようで、安価だが確実な治療が期待できることからヨーロッパから整形に来る人や、リビアから治療に来る人もいます。かなりフランス色が強いように思えますが、現地のガイドさんによると、精神的、ふるまい的な面がフランス、食べ物などはイタリアの影響が強いようです。

フランス語とアラビア語表記の看板。英語はあまり通じなかった(3月1日筆者撮影)

バスの車窓からまちを見て興味深いことがありました。都市部を少し離れると青と白が基調の家やパステルカラーの淡い色の屋根を持つ家と、黄土色一色の家の2種類に分かれていたのです。前者はフランス系の人が住んでいる比較的新しい家、後者は従来その土地に住んでいる人の家で、素材はレンガです。さらに両方とも平屋建てが多く、窓はほとんどありません。イスラム教徒が多い国で、「周りから家族を守る」という教えから見られないようにする意識の強さが家を見ただけでわかります。

黄土色を基調とした郊外の家(3月3日筆者撮影)

青と白の街で有名なシティ・ブ・サイドは、地中海と青空を背景に青いドアや手すりと真っ白な壁が、来る人の言葉を失わせるほどの美しい風景を生み出しています。なぜこのような統一された色合いになるのか、それはこの土地に暮らしていたロドルフ・デルランジェ男爵が青と白を好み、それ以外の色を使うことを禁じたことから始まったようです。

チュニジアンブルーで美しい街並み。夏にはブーゲンビリアのピンクの花が一面に広がる(3月6日筆者撮影)

さらにベルベル人と呼ばれる、先史時代から住む民族の家も見に行きました。ベルベル人は12~13世紀ごろに侵略してきたアラブ人から逃れるように山岳地帯に移動し、身を隠すために穴を掘って、生活をするようになりました。穴を掘れる土地かどうかを確認し、まずは大きな中庭を掘ります。そのあと、放射状に部屋を作っていくようです。冒頭でベルベル人の家をなかなか見つけられなかったように、意識しないと入り口を探すことができない、まさに目的通りの家になっています。映画スターウォーズのロケ地としても有名な北部マトマタにあるホテル・シディ・ドリスも穴を掘って作っています。

入り口は一つで少しかがんで入った。現在も人が住んでいる(3月2日筆者撮影)

中庭。密閉される部屋がないのは雨があまり降らない地域の特徴なのかもしれない(3月2日筆者撮影)

家や部屋の入り口には手や魚のマークが書かれている。ここから先に悪いものが入らないよう止める魔除けの意味がある(3月2日筆者撮影)

このように住居が教えてくれる土地の歴史や民族の風俗は多様です。

なぜ日本の建物は高層化していったのか、家のつくりはどうなっているのだろう。まちを歩くときに少し建物に目を向ければ新しい発見があるかもしれません。

 

参考資料:

明石書店「チュニジアを知るための60章」