グローバル人材 海外で求められる教養は何か

科学技術の発展に伴い、分業が進む現代社会。広く浅く何でもこなせるゼネラリストより、特定のことについて詳しい知識や技術を持つスペシャリストの方が重用されるのは当然です。理系より文系は軽視されがち。教育課程でもSTEM(理数系科目)と比べて教養科目の重要性が低下しています。

とはいえ、教養は無用という訳ではありません。人間の精神性に深く関わるものであり、我々が誇りを持って人間らしく生きていくために欠かすことの出来ないバックボーンと言えます。読売新聞の朝刊は、世界秩序の変遷を論じる文脈において、20世紀以降の東西両陣営の文学や音楽、映画作品を多数紹介していました。「人間の精神の領域に関わる文化に、優劣はつけられない。それでも結果として、西側陣営の文化は質量ともに東側を圧倒した」と結論づけています。

翻って現代を考えてみましょう。文化は国境を越えて拡散するようになりました。日本人も海外の教養を多少は心得ていないと、外国人と協働する際に支障が生じると思います。では、具体的にどんな知識が必要なのでしょうか。

まず、在日外国人の多数を占める中国から考えていきます。日本の一般人であれば、現代中国の文学や映画、芸術作品を知っている人はほぼいないでしょう。大抵、中国の文化と聞いて連想するのは『三国志』が関の山。しかも正史ではなく、横山光輝さんの漫画か北方謙三さんの小説で日本風に脚色された物語しか知らない人が大半だと思います。中国人に三国志を語るのは、無知を晒す愚行です。

一方の中国では、日本の漫画、アニメ、ドラマ、ゲーム、J-POPに限らず、日本の古い文学や音楽が一般市民によく知られています。昨年9月の拙稿でも一部紹介しましたが、太宰治や夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫といった昭和時代の作家が人気です。日本語学習者の間だけでなく、一般人にも広く普及しており、東野圭吾さんや村上春樹さんの著作が本屋の目立つ場所に並んでいることも珍しくありません。「『吾輩は猫である』は猫の視点から書いているので面白い」「『金閣寺』を読んで心を打たれた」「『こころ』の舞台である鎌倉に行ってみたい」。中国人の熱弁を聞く度に、筆者は感嘆させられます。教養の深さに畏敬の念を感じずにはいられません。

逆に、日本人である私が漢詩や漢文を知っていると、中国人は少し尊敬してくれます。SNS上で、桜の写真には「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」、新緑の写真には「緑陰幽草勝花時」という有名な漢詩の一節を添えて投稿すると「凄いね」と言われました。あるいは中国共産党員と政治談議しているときに、毛沢東の名言を引用すると相手を驚かすことも出来ます。「政権は銃口から生まれる」「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」。政治手腕はさておき、圧倒的な劣勢から国民党を打ち破って中国大陸の統一を成し遂げた軍事の天才。彼の格言には一定の説得力があります。

次に日本に対する文化的影響力が最も強い米国を考えます。米国文化の典型例というと、GHQが対日占領政策として実施したという説もある3Sすなわち、Screen(映画)、Sports(野球)、Sex(性風俗)を連想する人も多いかもしれません。しかし、もっと本質的な精神性に関係する一般教養を挙げるなら、おそらくキリスト教と聖書です。

敬虔なクリスチャンは減少しているものの、米国人なら大なり小なりキリスト教の文化的影響を受けています。私も中高時代カトリックのミッションスクールに通っていたので、聖書の内容は大体知っていました。おかげで米国に行ってキリスト教の教会を案内してもらったとき、建物内の装飾や芸術品が聖書のどの場面を反映したものか理解することができ、アメリカ人と会話が弾みました。

このように私の微々たる国際交流経験を振り返る限り、キリスト教と聖書、漢籍の知識を持っておくと、米国や中国でいつか必ず役に立ちます。イスラム世界ならコーランが重要かもしれません。インドならヒンドゥー教でしょうか。グローバル時代。海外で外国人をアッと驚かし、周囲の尊敬を集めるには、国際教養が不可欠です。

参考資料:

7日付 読売新聞朝刊(京都13版)6面「世界秩序の行方 ソフト・パワーの衝突」

スタンフォード大学記念教会(2015年3月筆者撮影)