「チョー」「マジ」「ヤバイ」が禁句のわけ

 

今年の私の目標の一つに、「品を大切にする」があります。

私は言葉遣いがあまり良くありません。いわゆる若者ことばもよく使うし、粗雑で乱暴な言葉を使ってしまうこともあります。池上彰さんの本に、「おい、マジか。池上彰の『ニュースを疑え!』」というものがあります。この本で最初に衝撃を受けたのは、「ニュースの裏側を知れた」ことではありませんでした。

「おい、マジか」

何とも下品な表現で、本来は私の趣味に合わないのですが、週刊文春のコラム「池上彰のそこからですか!?」で思わず使ったところ、書籍にするに当たって、編集者が、「ぜひこれを本のタイトルに入れましょう」と主張。気が弱い私は、つい受け入れてしまいました。 (文藝春秋「おい、マジか。池上彰の『ニュースを疑え!』」冒頭より)

 

ええっ、マジか。この言葉ってそんなに下品なの?!まあ確かに、池上さんやデヴィ夫人がこんな言葉を使うような場面なんて見たことがないし、想像できない。でもそれは世代とマッチしていないというだけなのでは。そんな風に思っていた時、またもや出会いました。「マジ」が禁句の場所に。

実習中は「チョー」「マジ」「ヤバイ」この三つは禁句である。くれぐれも気をつけるように。

これは、「ドラゴン桜」でも知られる三田紀房さんの最新漫画「Dr.Eggs」の一場面。医学生の初めての解剖実習を前に、ご献体に黙祷した後の教授のセリフです。「諸君は、医学生育成のため医学の進歩発展のためにご献体に同意してくださったご遺族の崇高な精神に報いなくてはならない。ご献体を敬い、ご遺族に思いを寄せて実習に取り組むように」と心構えを示したのち、この禁句が提示されました。

確かに、ご献体に対してこの言葉たちはふさわしくない感じがします。いくら使い手が若者であっても、品がなさすぎるし、とても敬意を表せません。何となく、対象を貶(けが)すニュアンスも感じられます。

また、この三つの言葉に共通して言えるのは、自分の心が動いたとき、それを簡単に口に出せてしまうことです。「ヤバイ」は特に、良くも悪くも現代の多義語として知られていますが、それゆえに、禁止しないとうっかり言ってしまう。実習中に使ってしまった「ヤバイ」を他の言葉に言い換えたらどうでしょう。おそらくとても敬意を払うような意味にはならないし、言い換えた後の言葉ならきっとあえて言わないでしょう。明確な意味を示す言葉であればあるほど、ご献体に対してそういった気持ちになってしまったことに後ろめたさを感じるはずです。「チョー」「マジ」「ヤバイ」を初めから禁止することには、その対象になってしまうものが「命を宿していた」ということを思い出し、敬意を忘れないことも目的としているのではないでしょうか。

日常生活でこれらの言葉を全て禁止することを目標にするのは難しいし、この言葉だからこそ築くことができる人間関係もあるでしょう。最近でも、筆者は腹の立つことがあったときには、とても人様には聞かせられないくらいの荒っぽい言葉を使った悪態を、心の中でついてしまうことがあります。たまには、やり場のない怒りをそうやって発散させても良い。けれど、大人の女性に近づきたい23歳。今まで無意識に放ってきた言葉、そこから人が受け取るニュアンスにも気を配り、便利な言葉が曖昧にしてしまう自分の気持ちを、少しずつ言語化していけたらなと思います。多様な表現を学び、言い換えようとすることで新しい感覚にも出会える、そんな一年になりますように。