書くということ、自分と出会うということ

素直に嫉妬した。

第72回全国小・中学校作文コンクールで、文部科学大臣賞を受賞した3作品(要約版)を読んだ。

例えば、小学4年生の亀迫柚希(かめさこ・ゆずき)さんが書いた文章の冒頭。

わたしは「面倒くさい」人間だ。自分で自分を考えると、矛盾ばかりあるように思える。(途中略) 頑張っていることや結果が出たことを力いっぱい褒めてほしい。「凄いね」って言われたい。承認欲求が強いのだ。

引き込まれるイントロ。4年生にして承認欲求という言葉を使いこなす語彙力。きっとこの子は、人生2周目なんだろう。そう思ってしまうほど上手い。

 

「書く」ということは難しい。

大学のゼミでは、毎週800字の課題作文を。あらたにすでは、2週間に1回編集部ブログを。何も書かないという週は筆者にはない。締め切りに追われるのが日常だ。こんな生活なので、同年代の人よりも文章と触れ合っている時間は、長いと思っている。

それでも言葉は全く言うことを聞いてくれない。伝えたいことはあっても、伝わらないことの方が多いくらいだ。

ただ、同時に「書く」ということは楽しい。それは自分と向き合わないとできない行為だからだ。

大学2年生の頃に書いた作文を見返してみた。すると、良いものを書きたいと焦る自分。かっこよく見せたくて背伸びする自分。でも結局できなくてテキトーに書いてしまう自分。そんな足掻いた色々な「自分」の痕跡がたくさんあった。

書かなければ出会えなかった自分に出会えたおかげで、今の自分がある。そう思うと大変でも書くことを辞めなかった自分を褒めてあげたい。

 

小中学生の作文を読んで、書くことの意味を再確認できた気がする。

まだ見ぬ自分と出会うために、今日も書き続けよう。

 

参考記事:

2日付 読売新聞朝刊 15面(特別面) 「第72回全国小・中学校作文コンクール」