デモは過激? 民主主義実現の手段とするには

 

私用のSNSアカウントで自分が書いたあらたにすの記事を紹介するとき、いつも悩みます。「意見がはっきりしていて、とっつきにくそう」「政治色が強そう」と思われはしないか……。実際、授業で仲良くなりSNSのアカウントをフォローし合っていたのに、記事に気づいたのか、距離を置くようになった人がいました。今はプロフィール欄にリンクを貼ることはやめて、私の性格やチャレンジ精神に理解のある友人にのみ、別の方法で記事をシェアするようになりました。感想や意見を知らせてくれる友人のおかげもあり、記事の質は少しずつ上がっていると思いますし、議論の輪を広げることの価値も感じるようになっています。

これだけ自分の意見を表明することについて悩むのは、主張している人に冷めた見方をする気持ちに共感できるからです。少し前までは私も、街中でのデモ参加者に対して「思想が強そう」「過激」というイメージを持っていたものでした。実際、激しい物言いをしてくる人もいるからでしょうか、「この人たちと対話するのは難しそう」と思い込み、足を止めて近くで聞くのも怖いように思われました。デモ隊が訴えても、耳を傾けている人がほとんどいない光景はよく目にします。

声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います

これは、テレビ朝日のドラマ「相棒」が元旦に放送された後、脚本を担当した太田愛さんが自身のブログに綴った言葉です。元の脚本にあった、デモ参加者が自らの苦境を切実に訴えるシーンが、必要以上にヒステリックな印象を与える演出に変わっていました。そのことがSNSで議論となった経緯があったための一文でした。

デモは、普段接することのない人たちにもダイレクトに声を届け、問題に気づいてもらう手段の一つです。その意義を認める人が多ければ、街頭で市民同士の対話が生まれることさえ期待できます。

今年3月13日にドイツで行われた反戦デモには、なんと全国で12万5千人が参加したといいます。この数の多さは、「自分の意見を聞いてもらえる」「誰かの意見に耳を傾ける」という市民の意識あってこそでしょう。ドイツの民主主義教育では「たった一人でも反対できる人間を育てる教育」を目指しており、「どんな意見も尊重される」ことを授業中も大事にしています。そこで培われた対話の土壌は、若者の政治への関心の高さを生んでいるようです。2021年9月の連邦議会選挙の投票率は、76.6%でした。デモに向ける視線が温かくなるためのヒントは、ここにもあると思います。

少しずつでも、多くの人にとって生きやすい社会へと近づいてきたのは、目を向けられなかった当事者が自ら声を上げ、それに耳を傾ける人がいたからです。誰かの訴えを目にしたとき、自分にとって少し過激に映ったとしても、一度受け止めるよう努めたいと思います。感情的にならず、意見の相違点やその背景を探ることで、街頭での訴えを意義あるものにし、民主的な社会の基盤を固めていきたいものです。

 

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