きけ かたりべのこえ

1947年に施行された日本国憲法は5月3日、75歳の誕生日を迎えました。昨今、ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、憲法をめぐる議論が盛んになっています。そうしたなか、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を掲げる第9条の改正に警鐘を鳴らす第二次世界大戦経験者の方にお話を伺いました。

4月30日から5月3日まで、東京都文京区の文京シビックセンターで「戦場体験放映保存の会」主催の茶話会と活動記録の展示会がひらかれました。筆者は、大島満吉さん(86)の講演会に参加しました。大島さんは45年8月14日に起きた葛根廟事件の生存者です。満州から日本への引き揚げの際に、日本人がソ連兵から攻撃を受けた事件です。約千数百名の内、約1000人が虐殺され、その他にも絶望からの自決や、残留孤児になった人たちなどがおり、無事に日本に帰国できたのは約110名のみという悲惨な事件でした。

展示会の様子(4月30日筆者撮影)

 大島さんの家族も絶望の淵に立たされました。母親は逃げることが叶わないと思い、娘である大島さんの妹の首を切り、殺害してしまいます。また、大島さんは生きる望みがなくなったため、国民学校の級友とともに刺殺の列に並び、あと十数人で自分の番というところまで来ました。幸運にもはぐれていた父親が大島さんと母親を救出してくれたことで窮地を脱し、帰国が叶いました。しかしその後、一緒に刺殺の列に並んだ級友たちと再会することはなかったそうです。

葛根廟事件当時の体験を語る大島さん(4月30日筆者撮影)

 大島さんは目に涙を浮かべ、声を震わせながら、これほどまでにつらい体験なのだから、本当は話したくないとおっしゃっていました。しかし、事件の犠牲となった千数百名のため、そして、同じような悲劇が二度と起こらないために、語り部として活動を続けています。

お話を聞くと、戦争の残酷さがまざまざと伝わり、平和の大切さを強く実感します。第二次世界大戦後、日本が平和国家として戦争を起こさなかったのも、戦争を知る人々による反戦平和運動が果たした役割が大きかったでしょう。しかし、時間とともに体験者の人口は減っているのが現状です。終戦当時18歳以上だった方はすでに95歳以上の高齢です。その人口は、男性で約13万人、女性で約54万人にすぎません。

戦争を経験していない人たちが、彼らの経験を語り継いでいく必要があります。そのためにも、より積極的に体験された方々の話を聞いていくべきです。

大島さんは憲法第9条を「世界の宝」と評していました。その憲法の行く末は私たち若い世代に託されています。先人たちが作り上げ、継承してきた平和への決意を守ってゆかねばなりません。

実物の赤紙(4月30日筆者撮影)

 

参考記事: 3日付 朝日新聞朝刊(14版)27面「戦火 9条を見つめる」

 

参考資料:

総務省「統計からみた我が国の高齢者」

https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics129.pdf

戦場体験資料館HP:

https://jvvap.jp/index.html