「誰も戦争を望んでいない」プーチン≠ロシアによって変わる概念

世界各地から学生が集まるロンドンの語学学校は、今思うととても不思議な空間でした。戦争の敵も味方も関係なく、皆一つ同じ屋根の下で教育を受けます。

当時はウクライナ人とロシア人が放課後一緒に卓球をするのはよくある光景でしたし、ましてやパレスチナ人とイスラエル人という、まさに紛争中の2人が同じ学校で授業を受けていることもありました。後者に関してはお互いが言葉を交わしている姿を見かけることは一度もありませんでしたが…。

だから、今回のロシアのウクライナ侵攻は、学内でも大きな話題となりました。それぞれの国に友人がいるからこそ、全く他人事とは思えない。そんな緊張感に包まれました。

NO ONE WANTS WAR

「誰も戦争を望んでいない」

先日ロシア人の友人がインスタグラムにアップした一言。思わず画面を止めて見入ってしまいました。今まで SNSでも無言を貫いていた友人が、初めてロシア人として自らの意見を表明したのです。

このたった一文から、16歳の彼の色々な思いや葛藤が読み取れました。それは、プーチンへの憤りでもあり、ロシアが悪と位置づけられる世界への悲しい抗議としても捉えられました。彼のフォロワーには、筆者と同じく語学学校で出会ったウクライナ出身の女の子もいます。どんな思いで彼女はこのストーリーを見たのでしょう。

 

◇ロシア人の反戦デモ 世論に与える影響

「多くのロシア人が実は戦争を望んでいなかった」。

この事実は、ロシア人に対する考え方を180度転換させることとなりました。実際に東京・新宿駅前では、日本に住むロシア人を中心に100人以上がデモに加わり、プーチンに対する抗議の声をあげていました。プーチン=ロシア人ではない。当たり前のように聞こえますが、かつての戦争史にはその発想は乏しかったのです。

「国vs国」「民族vs民族」という以前の戦争の常識が「国のトップvs個人」という構図へと変わったことは、筆者には戦争の根本的な概念を覆す大革新に思えます。かつての戦争では、国家が犯した過ちは国民も当たり前に償うべきとされていたのが、「ロシア人は悪くない!」「悪いのはプーチンだけだ!」と、国と国民を別に捉える考え方が浸透してきているのです。

これは、時代の移り変わり、特にSNSの発達が戦争のスタイルを大きく変えたことを意味します。昔は、たとえ国内で戦争反対のデモがあったとしても、世界に知れ渡ることはまれで、政権に弾圧されて終わりでした。国民の小さな抵抗など国際社会に届くわけもなく、あたかも全国民がその戦争を望んでいたかのように諸外国からも思われていました。

ところが、SNSによって国民それぞれが戦争に対する考えや意見を自由に世界へ発信することができるようになりました。「国としては賛成してることになってるけど本当は僕は反対なんだ!」というような個人の本音が、簡単に外に伝わるようになり、100人いたら100通りの考え方がでてくるわけです。その結果、「国」という単位で無理矢理1つにカテゴライズされることに違和感を覚える人が増えてきたのです。

「私はロシアを憎んでいるけれど、それは決して全てのロシア人が嫌いということではない」。ウクライナ人の彼女が昔言っていた言葉を思い出しました。ロシア人のなかにも、反戦を望む人は沢山います。

ウクライナ侵攻が始まった翌日に、ロシア人の女性と話す機会がありましたが、「なぜこんなことをしたんだ!」と彼女を問い詰めることはもちろんありません。なぜなら、彼女はただそこに生まれたロシア人なだけであって、戦争を決めたのは彼女ではないからです。

 

◇「他人任せ」の風潮が戦争へと導く

では、国家の暴走を私たちはただ指をくわえてみているだけなのでしょうか。いいえ、そんなことは許されません。ただ傍観することは、その戦争に加担していることと同じなのです。もし、日本が今戦争に突き進んだとして、その責任が国民にないとは言えません。なぜなら、憲法によって国民が主権を持ち、自由な選挙で国の行方を決める民主主義国家だからです。国民一人一人が投票した結果が国の代表の選出に反映されます。「私たちの総意=日本の決定」と見なされても仕方がない状況にあるのです。

選挙制度こそあるものの、報道の自由はがんじがらめに縛られ、ごく一部のメディアが命がけで政権を批判しているロシアとは違います。

だからこそ、少しでも違和感を持ったら、まずは声をあげること。そのために表現の自由が保障されているのですから恐れてはいけません。16歳のロシア人の少年が発信したSNSは、現に筆者の心を動かしました。これからは国民一人一人が自分の身を守るため声をあげて戦っていかなければなりません。

 

参考記事:

朝日新聞デジタル「在日ロシア人も反戦訴え 国内外で抗議デモ ウクライナ侵攻」