積極的に自分の意見、発信できますか?

突然ですが、筆者は会議が苦手です。毎回求められるのが、課題に対する自分の意見。なかなか自分の意見に自信を持てず、話を振られたら発言はするものの、自分からは積極的に発言することができません。意見をきちんと発言できる人と同じ場に立つと、もう手も足も出ません。我ながら情けありません。

「会議」には歴史があります。日本において、詳しい会議のやり方の記録が残るのは、平安時代になってからだといいます。当時の会議には、様々なルールが存在していました。その頃に行われていた「陣定」(じんのさだめ)という会議では、身分の高い貴族たちが集められ、全員が必ず発言を求められていたそうです。また、発言をまとめた議事録がとられ、天皇に提出されていました。会議に呼ばれていたのは10~15人ほどだったそうですが、実際に来ていたのは5~10人ほどだったそう。「全員が発言しなければならない。しかも記録が残ってしまう。」半数の人たちは、そんなプレッシャーに押され「サボっていたのではないか」と立命館大の美川教授はみます。

サボりたくなってしまった理由はそれだけではありません。貴族たちが残した日記には、「あいつは無能である」「こんなことで間違えている」など、会議の発言について辛辣な言葉が書き綴られていたそうです。プレッシャーに負けず頑張って発言をしても、そんなことを言われてしまったら、サボりたくもなるでしょう。気持ちが痛いほどわかります。

現代は平安時代のように、参加者全員が発言を求められているわけでも、必ず議事録をとっているわけでもありません。それゆえ、特定の人しか発言していない会議も多く見かけられます。

もちろん、会議に参加している人全員が、自分の意見を発信することに越したことはありません。しかし、それぞれの人にとって、発言しやすい環境はバラバラなのは事実。「発言しない」という形が一種の意思表示である場合も考えられます。発言を強要するという形づくりではなく、どんな人でも発言しやすい、どんな意見でも受け入れられるような環境を整えてあげることが、多様な個性を尊重したチームづくりに繋がっていくのではないでしょうか。また、会議内で発言するという形だけではなく自分が参加しやすい方法でチームに寄与するなど、自分にとって会議で「発言すること」が大きなストレスにならないように、自分で新しい貢献の仕方を考えていくことも必要なのではないでしょうか。

 

参考記事:朝日新聞28日付 13版25面 最良探して 会議・今昔物語