現実か?おとぎ話か?あまりにもリアルな独裁者フィルの話

Twitterのハッシュタグ機能で読みたい本を見つけるのにはまっています。「#読書記録」、「#読了」などで検索すると、本の表紙や読み終えた感想が次から次へと流れてきます。『短くて恐ろしいフィルの時代』もその中から見つけました。「争いはこうやって始まるのかもしれない」というレビューを見て、世界が戦いを目の当たりにしている今こそ読むべきだと表紙をめくりました。

ジョージ・ソーンダーズ著 岸本佐知子訳『短くて恐ろしいフィルの時代』河出書房新社

この本は、アメリカの作家ジョージ・ソーンダーズが2005年に発表した作品。国民が1度に1人しか住めないほど小さい「内ホーナー国」とそれを囲む大国「外ホーナー国」の国境が舞台です。内ホーナー人は外の国に不法侵入しないため、横になって眠ることはおろか、一斉に伸びをすることすらできません。1人が国内にいるとき残りの6人は、外ホーナー国内にある一時滞在ゾーンで順番待ちをしています。ある日身体の一部が外にはみ出してしまった小国の住民に対し、大国に住む平凡な男フィルが税金を払えと熱弁したところから、お互いへの憎悪が争いへと姿を変えます。外ホーナー国民はフィルにカリスマ性を供えた理想のリーダー像を見出しますが、彼の独裁が始まり…という話です。

あとがきには特定の人物や出来事を題材にしているわけではないと書かれていますが、読後には誰もが何人かの顔を思い浮かべるでしょう。自国民が優秀であることを力強くスピーチするフィル。反論を唱えた者を見せしめに処刑し、自分に賛同する人々の意見だけを民意だと思い込むフィル。歴史上の独裁者を全員足し合わせて、その数で割ったような、リアルすぎる寓話といえば分かりやすいかもしれません。

リアルに描かれているのは独裁者だけではありません。国境での任務を任された市民軍やボディーガードたちは、長いものには巻かれろとフィルを支持し続けます。マスコミも発表を鵜呑みにし、称賛するようになります。市民軍の1人が過激になる一方の支配に異議を唱えますが、時すでに遅し。すでに誰にも止められないほどの権力がフィルに集中していました。

登場する国民は人間とされていますが、その身体はベルトのバックルやツナ缶などでできている、いわゆる機械。フィルによる処刑は解体と表現されています。身体が機械故にユーモアたっぷりで表現される国民たちの姿と内容のリアルさが、作り話に思えない不思議な読書体験を生み出します。タイトル通りフィル政権は短命に終わりますが、最後にまたまたぞくりとする展開が。

ページをめくる手が止まるほどショックなセリフがありました。内ホーナー国への侵攻を軍に指示するフィルの言葉。

「女も子どももそこにはいない!」

「いるのはただ、体が丸みをおびて髪の長い内ホーナー人と、体が小さくて脳が二つある気色のわるい内ホーナー人だけだ!」

(河出書房新社『短くて恐ろしいフィルの時代』より)

民族や国家間で戦争がなくならない理由がこのセリフに込められています。そして、誰かにとってかけがえのない人が、戦地においては〇〇人、死者〇人と括られる恐怖。フィルは自国の安全を守るため争いを選びましたが、年齢も性別も、軍隊も一般市民も関係なしに人を傷つけることを正当化しているようにしか見えません。

フィクションであってくれと願うような出来事が、いまウクライナで起こっています。その事実から目をそらしてはだめだと痛感しました。私はフィルを止めたい。声を上げよう。

 

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ジョージ・ソーンダーズ著 岸本佐知子訳『短くて恐ろしいフィルの時代』河出書房新社