在中国大使館元職員に聞く[下] 北京暮らしと地方旅行

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――北京での暮らしぶりを教えて下さい。家や治安、住環境など。

僕は前任からの助言を受けて、大使館近くのマンションで一人暮らししていた。赴任した当初は業務が忙しくて、退勤が終電後の時間になることもあった。終電は大抵23時過ぎ。だから、残業しても帰宅できるよう近所を選んだ。加えて、万が一緊急事態が発生したとき、すぐに大使館に駆けつけられるように、との事情もある。ほとんどの館員は、徒歩で大使館に通える場所に住んでいた。僕は2回引越しして、計3つの物件に住んでいたけれど、全て徒歩10分以内の近場。引越しを2回したのは、近所のトラブルが原因ではなく、様々な場所に住んでみたかったから。

中国のマンションは、基本的に予め家具が備わっている。中でも、大使館員が住むようなマンションは「サービスアパート (酒店式公寓)」と言って、ホテルのようなサービスまで付いてくる。例えば、掃除の人が週2回入って、ベッドシーツ類を取り替えてくれる。洗濯やアイロン掛け等のサービスも完備。今、大阪で下宿しているアパートからは考えられないぐらい素晴らしい住環境だった。

治安も極めて良好だった。中国では国民2〜3人に1台くらいの割合で監視カメラが設置されている。北京はその割合が比較的高く、しかも、大使館が林立するエリアは武警が常駐していたから、身の危険を感じることは一度もなかった。

マンションや治安が最高だった一方で、空気が汚かったことは否めない。北京人に言わせると、年々良くなっており、政府も環境問題に力を入れて取り組んでいる。僕が滞在していた2年間でも、若干空気が綺麗になったような気がする。それでも尚、冬場は市民が石炭燃やして暖を取るうえ、黄砂も襲ってくるから、空気が凄まじく汚い日が月に2〜3回はあった。他の日は、まあ悪いかなぐらい。ごくたまに、気持ちのいい晴天もあった。

 

――休暇期間は地方旅行していたと聞きました。

雲南省、青海省、甘粛省、陝西省の西安、遼寧省の瀋陽と大連、上海、浙江省の杭州に行った。広東省や福建省、海南島の旅行も計画していたけど、行こうとした時期に散発的にコロナの感染者が発生してしまったから、行けなかった。中国はゼロコロナ政策を採用しており、1人でも感染者が出るともうダメ。現地か北京で長期間の隔離を強いられる可能性があったから、不用意に行けなかった。海南島は特に行きたかったがタイミングが悪かった。残念。逆に、雲南省は行った翌週あたりに感染者が発生して、間一髪だったな。

雲南省や青海省はよく印象に残っている。敦煌石窟でラクダに乗ったのが楽しかった。一番良かった場所は西安。教科書で見た秦の始皇帝の兵馬俑を生で見て、懐かしい気持ちが湧いてきた。西安の街は、10キロ程の城壁に囲まれていて、城壁の上をレンタサイクルでぐるりと1周したよ。北京は文化大革命のときに城壁の大半が破壊されたけど、西安は破壊を免れて全て綺麗に残っている。古き良き中国の趣が残っていて感動した。西安に限らず、地方都市は街の雰囲気が北京と異なっていて、中国の広さや多様さも実感した。

派遣員同期との雲南省旅行(20年9月)

敦煌でラクダに乗る(21年7月)

――帰国して1ヶ月半経ちますが、日本の生活には慣れましたか。中国社会と日本社会の違いを発見しましたか。

日本ライフにはもう慣れたつもりだけど、中国での習慣が一部抜けきっていないみたい。先日、電車に乗るとき、降りる客を待たずに、ドアが開いた瞬間電車に乗ろうとしてしまった。「中国の習慣が抜けきってないよ」と友達に指摘された。

中国社会と日本社会の違いとしては、テクノロジー分野や物価の違いを大きく感じる。日本でも、2年前よりラインペイなどの電子決済が広く普及している。使える店はかなり増えた気がするけど、まだまだ中国には及んでいない。中国では、主にWeChatペイを使っていて、タオバオ(ネット通販)の支払いのときはアリペイを使っていた。

9月下旬に帰国した直後の隔離期間中に、日本のウーバーイーツを初めて利用したのだが、値段が高過ぎると感じた。配送料も料理の値段も高い。北京にいたときは、基本的に毎食、外卖 (出前)していたけど、安いし美味しいし種類が豊富だった。店で食べるのと同じか、それよりも安かった。日本に帰ってきて、自炊が面倒に感じる。

交通の面でいうと、タクシーが使えないことも不便だ。中国だったら、徒歩で行けるような短い距離でも安いので、滴滴出行(ディディ)はほぼ毎日利用していた。地下鉄も安かった。オンラインサービスの利用しやすさや物価の面では、中国の方が断然良かったと思う。家賃だけは、東京より北京の方が高いけど。

あと、北京では、ちょっとした開放感も感じていたな。日本では外出できないようなラフな格好でも、ふらふら外を歩けるのが気楽で良かった。夏には、上裸のおじさんが街中をよく闊歩しているので、どんな格好していようが、自分は服着ているだけマシだよなと思って。日本では出来ないけど、コンビニも寝巻きで行っていた。

日本の方が優れているのはコンビニかな。中国にもセブンやローソン、ファミマなど日本発のコンビニがたくさんあって、弁当をたまに買って食べていたけど、あまり美味しくなかった。2年ぶりに帰国して、日本のセブン行って、品揃えの良さと味の良さに心の底から感動したよ。クオリティーが高い。今まで世界の様々な国に旅行しに行ったけど、日本のコンビニは世界一だと感じるね!

敦煌夜市にて(21年7月)

――2年間の大使館勤務を経て、自分自身に変化はありましたか。語学力や価値観など。

遼寧大学に1年間留学した経験があったから、中国語会話には慣れていたけど、中国語を「学ぶ」のと「使って仕事する」のは全然違った。というのも、ビジネスの場面では自分の考えをしっかり伝えなければならないし、政府機関で働いているから下手なことは言えない。下っ端の派遣員でも発言の責任と重みを感じながら、コミュニケーションしていた。ホテルの窓口の人と親交を深めた話をしたけど、大使館職員200人超の中で、そのホテルの担当は自分一人だけだったから、窓口の人は僕の発言を大使館の総意とみなす。変なことを言えば大使館の評判が落ちかねない。また、自分のような派遣員は2年間しかいないから、その間にヘマをしたら、次に引き継ぐ人が尻拭いしなければならない。後輩に迷惑をかけられないと思っていたし、常々、大使館員としての自覚や責任感は意識するようになった。また、北京には様々なメディアの記者も駐在していて、常に目を光らせている。大使館員の規律を守り、不用意な言動を避けるよう、心掛けていたよ。

 

――今後の進路予定は。

まずは大学を終わらせて、その後は、どんな職にせよ中国に長く関わっていきたいと考えている。民間企業で働くつもりで、今日も某企業の面接を受けた。これから就活を頑張らねば。ちなみに、派遣員を経験した人は、JICAやJETROのような機関や、語学を生かせる外資系企業に就職する人が多いらしい。

 

――最後に、2年間を一言で表すなら。

有缘千里来相会,无缘对面不相逢(縁があれば千里離れていても出会う。縁がなければ目の前に居ても出会わない。)

これは、垂大使も仰っていた言葉だ。僕は大学を卒業していない段階で行き、すぐに業務に携わることになった。社会人としての基礎を何も携えないまま、現場に飛び込んだ感じだったから、周りのサポート無くして2年間を終えることはできなかったと思う。自分より半年前に来ていた先輩の派遣員は、民間企業で10年間働いた経験を持っていたため、社会人の常識を知っていた。自分の意見を持ち、ときには外務省員の上司にも異論を呈するなど、しっかり主張できる人だった。その人から大使館の業務だけでなく、社会人としての基礎も一緒に教えてもらえて、恩人だと思っている。中国との出会い自体が縁だったけど、北京でも上司、同僚、友人と素晴らしい出会いに恵まれた。このご縁をこれからも大事にしていきたい。そしていつかまた中国に帰りたいな。

大使館、離任の際の恒例胴上げ(21年9月)

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