「親ガチャ」という言葉が映す若者たちの叫び

最近よく聞くようになった、「親ガチャ」という言葉。先日、Twitter上でもトレンド入りを果たしていました。「ガチャ」とは抽選形式のカプセルトイである、ガチャガチャの略です。取り出すまではカプセルの中に何が入っているか分かりません。つまり、「親ガチャ」とはどの親の元に生まれてくるかによって良くも悪くも、人生が決まってしまうという意味です。子は親を選べない、つまり人生は運ゲーだというのです。

全てを親のせいにして努力をしていないのではないか、との意見もあります。しかし、自分の努力でなんとかなるなら、「親ガチャ」なんて隠語は生まれないはずです。自分の力ではどうにもならない現実社会に嫌気がさしたからこそ、この言葉が生まれたのだと思います。

最近、親からの虐待で亡くなってしまった子どものニュースを見かけることが多くなったような気がします。その子が幸せと思っていたのかどうかは本人自身にしか分かりません。しかし、そのようなニュースに接するたびに、その家庭に生まれてきていなければ死ぬことはなかったのだろうに、とふと思ってしまいます。抗えない運命もあるものだと感じます。

家庭の経済的理由により、大学進学を諦めてしまう人も多くいます。大学の年間授業料は国公立だと平均約50万円、私立になると平均100万円、さらに一人暮らしをするとなると、さらに負担は増えます。どれだけ能力があっても、どれだけやる気があっても、お金のせいで夢を諦めざるを得ない。これほど、悔しいものはないのではないでしょうか。

ここで一つ認識しておかなければいけないのは、「親ガチャ」は個人が抱える問題を示しているだけではなく、格差社会に対する若者の訴えでもあるということです。そんな言葉は不謹慎、と片付けるのは違うのではないかと思います。若者のスラングに隠された、日本社会の課題をもう一度洗い出し、改めるべきなのではないでしょうか。

「どのガチャを引いても魅力的という社会にしていきたいですよね。」

乙武洋匡さんが、こうテレビで発言していました。この言葉が、若者が伝えたいことを集約している気がします。

 

参考記事: 9月30日付 朝日新聞デジタル 「親ガチャ」は親だけの問題なのか

https://www.asahi.com/articles/ASP9Y3FT7P9WUCVL003.html