私たちは「選挙」をどう学んできたか

中学校の体育館に一面に並べられたパイプ椅子。それに腰かけた全校生徒が静かに見守るなか、一生懸命練習して暗記した選挙演説を朗々と語る生徒会役員候補たち——。あなたは、中学校の生徒会選挙にどんな思い出を持っているでしょうか。どんな基準で、彼らを選んでいたでしょうか。

2019年参院選での20代の投票率は約31%。若者の低投票率は、選挙のたびに問題とされます。前回のあらたにすでは、全国の体育の先生へお手紙を書きましたが、今回は体育科の先生に限らず、全国で義務教育にあたっている先生がたに別の提案をしたいと思います。

 

「自分たちのことを自分たちで決める練習をさせてあげてほしい」

中学も高校も、多くの学校で生徒会役員「選挙」があります。中学の時、初めて候補者の演説を聞いた後、しんとした教室で投票用紙に〇をつけました。厳粛な雰囲気に少しどきどきしたのを覚えています。どうやって誰を選んだのかはあまり覚えていませんが。

自分たちの学校生活を変えてほしい、より良くしてほしい。そんな強い思い入れは、ほとんどありませんでした。きっと、どこか自分と関係のないことだ、生徒の要望で学校生活が大きく変わることなんてそうそうない、と考えていたからだと思います。

しかし大学生になって、「リーダーの決め方」への意識が変わりました。子どもとキャンプに行くボランティア団体に所属したことがきっかけです。ここでは、子どもと過ごすときも、大人だけの宿泊研修のときも、班長の決め方に強くこだわっていました。最初はなんとなく「たとえ能力がない小さな子どもでも、やりたいならみんなでやらせてあげよう」くらいに思っていましたが、そのうち、全員にとって居心地の良い空間にするためには、それでは十分でないことに気付き始めました。

班長は各班の代表が話し合う班長会に出席します。自班の全メンバーの要望や抱える問題点をきちんと全体の討議に反映させなければ、務まりません。ですから、高い能力や熱い思いが求められます。具体的には、視野が広い、弱者を見捨てず向き合う姿勢がある、コミュニケーション能力が高い、などですが、その班や全体の状況に合わせて、求められるものは少しずつ変わってきます。そのために、班長を決めるときにはまず、「どんな人に班長になってほしいか」「そもそも班長会はなんのためにあるのか」を丁寧に話し合うことが慣例になっていました。

このルールに触れて初めて、こうやって民主主義って実現するんだ、今までは何も理解していなかったんだな、と痛感しました。改めて中学高校時代の「選挙」を思い返すと、それはとても「自分たちのことを決める」という意識のもとでやっていたものではなく、もったいなかったな、と感じます。

学校でも、せっかく選挙という体験ができるのだから、次のような工夫があったらいいなと思います。

選挙の前に、「生徒会」がどんなものなのか、そのなかで「生徒会執行部」や「議員」がどんな役割を果たすのか、を全員が理解する。今の自分たちにはどんな能力や思いをもったリーダーが必要なのか考える機会を設ける。立候補者の演説ではメモをとることを認め、候補者の掲げる公約を自分なりに評価したうえで投票する、などです。そもそも、生徒会の裁量をできるだけ多くするよう努めることも必要かもしれません。

選挙は、国民が自分の考えを示す、なくてはならない機会です。選挙権が国民にとって大切な権利であることを認識するとともに、投票するときには、政党や候補者の公約や意見をよく聞いて判断することが重要です。

これは、かつて中学生だった私が使用していた公民の教科書に載っていた言葉です。「選挙」の重要性は、しっかり、義務教育段階の教科書で説かれています。ぜひ机上での勉強だけでなく、実際の選挙にも力を入れていただけないでしょうか。堂々と流暢に演説ができた高学年生だけが選ばれるのが当たり前になっているようでは、一国のリーダーも「パフォーマンスだけは一丁前」がまかり通って当然になってしまいます。「自分たちのことを自分たちで決められる」という意識を強く持ち、その面白さを感じてもらい、ひいてはこの国の政治がより良い方向へ変わることを願っています。

 

 

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3日付 朝日新聞朝刊(愛知13版)23面(教育)「選挙行かないの、若者のせい?」

参考資料:

「新しい社会 公民」平成26年発行 東京書籍