終戦の日 軍都を歩く

戦前、京都市伏見区の深草(ふかくさ)一帯には、陸軍第十六師団の司令部がおかれ、軍都として栄えた。その為、今も街中には旧陸軍の遺構が残っている。

815日、終戦記念日、私は軍都・深草を訪れた。

深草を散策していて驚いたのは、軍に関する道路名の多さだ。師団街道・第一軍道・第二軍道・第三軍道と道路標識には物々しい文字が踊っていた。かつて軍都であったことを彷彿とさせる。

また、師団橋という琵琶湖疏水に架かる橋もあった。橋脚には、陸軍の象徴である「五芒星(ごぼうせい)」が刻まれていた。これもかつての名残だ。

師団橋(15日、筆者撮影)

 

元司令部庁舎も見に行った。レンガ造りの司令部庁舎は、戦後、聖母女学院の本館となり、現在も使用されている。元司令部庁舎は外観からしか眺めることができなかったが、レンガ造りの壮観な建物であった。

京都聖母女学院本館(元元司令部庁舎)(15日、筆者撮影)

 

最後に訪れたのは、京都市深草墓園。旧陸軍墓地である。旧陸軍墓地であるため、戦没者の顕彰碑があるのではないか、そう思い訪ねた。

まず、納骨堂から脇道にそれたところにある「満州事変戦病没者合同墓碑」と「歩兵第九連隊将兵英霊合祀之碑」に行った。お盆ということもあり納骨堂には多くの人が訪れていたが、近くの石碑周辺は閑散としていた。お供物もなく、苔むしており、訪れる人の少なさを感じ取れた。

「満州事変戦病没者合同墓碑」と「歩兵第九連隊将兵英霊合祀之碑」(15日、筆者撮影)

 

次に、樹木型納骨施設の奥にある石碑を訪れた。納骨施設から山道を少し歩くと、石碑が4基現れた。全てに「明治三十七八戦没」と記されている。恐らく、19045年の日露戦争の戦没者の碑であろう。手前から兵卒、下士、准士官、将校の順で並んでいる。階級順だ。こちらの石碑も人が訪れた気配はなく、山中で静かに佇んでいた。

「明治三十七八戦没戦病死者合葬碑」(15日、筆者撮影)

 

毎年、終戦記念日が近づくと新聞やテレビでは、日本の戦争について取り上げられる。その為、8月になると戦争について思いを馳せる人は多いのではないだろうか。しかし、戦争に関する史跡を訪れる人はそう多くないはずだ。新聞やテレビを通してだけではなく、身近な戦争遺跡から戦争、平和について考えてみるのも良いのではないだろうか。

忘れられつつある石碑を前にそう思う。

参考記事:

朝日新聞、日経新聞、読売新聞 終戦記念日関連記事

「深草に残る戦争遺跡」

https://www.city.kyoto.lg.jp/fushimi/page/0000187027.html