マスク文化とコミュニケーション

緊急事態宣言が解除されてから、明日で1週間。解除されたと言ってもコロナが消えるわけではないからか、これまでの生活とあまり変わらない気がする。

毎日の持ち物にマスクが追加されてからどれくらい経つだろうか。昔のアルバムをめくっていたら、誰もマスクをしていない世界がとても遠く、不自然に感じられた。それぐらい、「外出時は必ずマスクを」という習慣が日常化してしまった。

このマスク文化について、面白い話を聞いた。日本人が着用することに抵抗がないのは、綺麗好きな国民性だけでなく、口が隠れても目で十分コミュニケーションが取れるという理由があるらしい。対して欧米では、口を覆うと自分の思いを届けるための手段まで覆われてしまうため、浸透するのに時間を要したというのだ。

日本語は母音や子音の種類が少ないため、口の動きから読み取る情報が少ないという言語的構造がある。それに対して、英語は子音の種類が多く口を様々な形に動かして思いを伝える。目ではなく「口」を見てコミュニケーションを取ることが多いと言われている。

国によって人々の思いの伝え方は異なるのは、言語が違うから当たり前かもしれない。しかし「目は口ほどに物を言う」と言う言葉があるように、日本人は「目」で自分の思いや表情を相手に伝えることが多いというのは納得できるかもしれない。

これは対面コミュニケーションに限ったことではなく、テキスト上の絵文字にも通じると思う。幼少期、アメリカに住んでいた頃、私は友達とコミュニケーションを取る際、:)や:(などの絵文字を使っていた。一見顔に見えないかもしれないが、顔を左に90度倒せば二つの目と口が見える。注目したいのは、これらは目ではなく口の向きを変えることで「嬉しい」「悲しい」という思いを伝えていることだ。それに対して日本では(><)(^^)のように、目だけで思いを表現していることに気づく。

こうした伝え方の違いが、コロナ禍での各国のマスク文化に顕著に表れたと思うと興味深い。相手に思いを伝えるための手段を奪われたくない。その強い気持ちが無意識のうちに表れてしまうのは、ある意味仕方ないのかもしれない。やはり人間は社会的な生き物である以上、相手に思いを伝えなければ生きていけない。コロナはコミュニケーションに対する人類の執念を浮き彫りにした気がする。

参考記事:

26日付 朝日新聞朝刊 新型コロナウイルス関連記事