私たちはなぜ古典を学ぶのか

16日の朝日新聞朝刊に、興味深い記事がありました。「僕はなぜ理科や古文等を勉強するか、分からない」という高校生の悩みに、読者から多くの反響が寄せられたというものです。まずはじめに、悩みに対するいくつかの投稿を紹介していきたいと思います。

 元高校教師の男性は、古典を学ぶ意義として、千年生きたエネルギーを自分の中に取り込むことをあげています。千年前に書かれた物語が、今日まで読み継がれてきたということは、物語が生き続けてきたという証で、登場人物のドラマチックな人生を追体験すれば、人とのコミュニケーションに生かせるのではないかというのです。

 古典は、物事の真実について困ったときの判断材料になると指摘したのは、非常勤講師の女性。かつて「ノストラダムスの大予言」でパニック状態に陥った生徒たちに、平安時代の『末法思想』を教え、予言が当たらないことを示したといいます。人の気持ちや生きていく上での真実は古典の中に伝えられてきたとしたうえで、分からないことや迷いがあるなら、古典や歴史の中に、答えを探すことをおすすめしています。

 国家公務員の女性は、就職の際に、直接的に役に立ったとしています。公務員試験の範囲が20科目以上あるため、幅広く学習する必要があります。そこで高校時代に幅広く勉強したことが役に立ったといいます。

 実は私も、高校生の頃、同様の悩みを持っていました。「古典は受験勉強のためだけに使うもの」。そう信じてやみませんでした。ただ、大学入試を終え、大学生活4年目に突入したいまも、古典に触れる機会は少なくありません。私は古典を学ぶことは人生の視野を広げるという意味で、有意義な時間であると感じているからです。

 例えば、古典の文化には現在の日本文化と異なるものもあります。つまり、古文に触れることで、今では体験できないような異文化を学ぶことになります。結果的に、古典教育は多様な文化を理解し、受け入れる素地をつくるのではないかと考えています。

参考記事:

16日付 朝日新聞朝刊(東京13版)12面「(声 どう思いますか)理科や古典は必要?」