五輪ポスターが問いかける「障害」

17日の朝日新聞夕刊に、画家山口晃さんの東京五輪・パラリンピック公式ポスターが紹介されていました。その名も「馬からやヲ射る」。目を凝らすと、段差を越えられない車いすの老夫婦や原発事故の処理済み汚水のタンクなどが描かれています。五輪延期も相まって予算は肥大化。それを配分すべきは、絵の細部に描かれた弱い立場の人々ではないのかと問いかけています。

山口晃さんの「馬からやヲ射る」

筆者が共感したのは、「社会の側が障害を生み出している面がある」という山口さんの考えです。街は危険がいっぱい。視覚障がい者のガイドヘルプをしたとき、そう感じたからです。

先月の記事でも書きましたが、ガイドヘルプをする際は介助者の肩に手を乗せてもらい隣に並びます。すべてではありませんが危険や不便なところに気付くことができます。店先の看板、とめられている自転車、数センチの段差など、私たちが無意識のうちに「障害」を創り出しているのです。障がい者にとっての脅威は、物だけではありません。動かない物に対しては事前にその存在を伝えることができますが、歩行者の動きは予測できません。白杖に足を引っかけてでも横切ろうとする人さえいます。

もちろん誰もが、「障害」を生み出している訳ではありません。白杖を持つ女性と歩いていたとき、何度も手助けをしてもらいました。狭い通路を通り切るまで待ってくれる人もいれば、代わりにドアを開けてくれる人も。思いやりに触れたとき、彼女の口からは「ありがとう」よりも先に「すみません」が出てきました。何度も何度も頭を下げる彼女は、自身の障がいが周りに迷惑をかけていると、申し訳なさを感じているように見えました。

社会が生み出しているのは、「物理的障害」だけではないかもしれません。障がい者が抱く申し訳ないという感情は、日常生活のなかで受けた心無い言動から生まれたのではないでしょうか。街が危険ではなく、思いやりに似合う「ありがとう」で埋め尽くされるように。動くべきは、私たちです。

 

参考記事

17日付朝日新聞夕刊(東京3版)1面「公式ポスター大会を問う」