後編・「ジェンダーの日本史」に行ってみた

昨日の記事では、「性差(ジェンダー)と日本史」という国立歴史民俗博物館で開催されている企画展示について、実際に足を運び、その様子を説明しました。後編では、私がなぜジェンダーの問題に関心があるのか、そして展示を見て思ったことを伝えたいと思います。

展示の様子。朝日新聞の記事から引用。

 

■なぜジェンダー問題に関心があるのか

今月は3回連続でジェンダーについて書きました。なぜ関心を寄せているのか。改めて考えていきます。

大きな理由は、来年から社会に出て働くことへの不安があるからです。私は4月から記者として働きます。就きたかった職業で、今も期待に胸を膨らませています。一方で、私が想像している働きやすさとのギャップがあるのではないかと感じています。

今年の頭に、『マスコミ・セクハラ白書』を読みました。メディアで働く女性たちによって発足した組織WiMN(ウィメン)のメンバーが執筆しています。その女性たちが、セクハラの当事者として告白をしていていました。例えば、記者クラブという名の男社会のノリに苦しみ、「女性らしいから」という理由で「ですます調」で書くように言われた記者は、毎朝のように「子どもはまだか、作り方は知っているのか」とからかわれた。そんなエピソードが紹介されています。

これからペンを持とうと考えている女性のために出版されたそうで、苦しい経験を明かしてくださった著者の方々には敬意を表したいと思います。

この本に載っている出来事には、彼女たちが新人のときの体験などもありますので、少し前のことだとは思います。しかし、セクハラがまかり通っていたことに衝撃を受けました。メディアは男女平等を目指す記事などを執筆しているので、働きやすい環境なのだと思っていました。でも本当のところは、記事に書いているように本来あるべき姿とはかけ離れていました。もちろんすべての人がセクハラをしていたとは思っていません。現在は入社時の男女比もほぼ同数になり、社内の意識も雰囲気も変わってきたと思います。

ですが、このような過去があるならば、セクハラ自体が減っても、ジェンダーバイアスは残っているのではないでしょうか。それは働き方の話につながります。育休を取ったことのある知り合いの男性記者が「出世とかは考えていない」と言っているのを聞いたことがあります。男性で育休を取得している人は少数であるという現状と、社内の評判が芳しくないことを匂わせていました。

先日、若手記者研修会に聴講生として参加しました。そのときに登壇していた東京大大学院教授の林香里さんがメディアの問題を述べていました。男性優位で男性によって決められた出世ルートや、システムが存在することです。そもそも女性が働くことが想定されていないのです。育休産休で一旦職場を離れる人たちに対しての評価方法がない。その仕組み自体を変えていかなければなりません。

前編で述べましたが、今回の企画展示で驚いたのは、男性中心の構造は自然発生で社会に根付いているわけではなく、中世以降、意図的に作られていたことです。ならば、男女平等な社会も制度を整えることによって、必ず変えることができるはず。日本の歴史という長いスパンで見ることで、少し希望が持てたのかなと思います。

誰もが働きやすいと思える社会にするために、おかしいと思ったことには声を上げる。働き始めてからも考え続けていく、この2つを大切にしていきたいものです。

参考記事:

13日付朝日新聞朝刊26面「(ThinkGender)日本の「性差」、歴史学で切り込む 国立歴史民俗博物館が企画展」(文化文芸)