前編・「ジェンダーの日本史」に行ってみた

「性差(ジェンダー)の日本史」という企画展示をご存知ですか。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で開かれています。期間は、10月6日から12月6日まで。SNSで話題となり、比較的若い世代が訪れていると新聞記事でも紹介されていました。私は2度訪れました。最初は休日で、コロナ対策の入場制限があり、1時間しか見ることができなかったためです。後日、平日に訪れ、3時間ほどかけてじっくり回りました。

今回は、前・後編に分けて報告したいと思います。

前編は、1番印象に残ったことと、展示の内容を。後編は、展示を見て思ったことと、なぜジェンダーに関心があるのかを伝えたいと思います。

 

土・日・祝日・終了前1週間前は、Webからのオンライン入場日時指定事前予約を受け付けている。写真は、入り口の写真。

 

■卑弥呼は特別なのか。

展示は3部構成でした。政治について。労働と暮らしについて。最後は売買春についてです。私が1番印象に残っているのは、古代についての展示です。

展示のスタートは「卑弥呼」でした。女性であるのは言わずもがなですが、その彼女がリーダーとして一国を治めていました。これは特殊な事例なのか?という問いから始まります。誰もが習う歴史上の人物ですが、確かに今日の国会議員や会社経営者に女性が少ない現状を考え合わせると異例だと思わずにはいられません。

ですが、古代では、男女両方の首長が存在し、女性の政治参加が当たり前だったそうです。その根拠に、女性首長が埋葬された古墳の大きさも男性と変わらなかったし、埋められている副葬品が男性と遜色なかったといいます。それを説明するために、レプリカや実物が置いてありました。

日本では7世紀以降に律令国家の成立によって、戸籍を管理するようになり、公文書上で男女を区別するようになりました。

それまでの日本社会は、家系図に女性が出てこない江戸時代のような男性中心社会ということはありませんでした。父と母がみあい(御合)て産まれた子として、男女それぞれのものを受け継いでいるのだという認識があり、家系図には父方も母方も全ての名前が記載されていたそうです。

近世になるにつれ、徐々に女性が表舞台から消えていきます。室町時代の屏風には、職人として女性が登場していました。扇を作ったり、魚を売ったり、藍染めをする女性たちです。それが、江戸時代後期には女性が排除され、職人を描いた資料には男性だけが記載されていました。

このプロジェクトの代表を務める横山百合子教授(国立歴史民俗博物館 研究部)も、「このことは今回調べて初めて分かった」と出演していたラジオで語っていました。

男性中心の社会は最初から自然発生的に根付いているわけではなく、意図的に作られていることが分かりました。今まで学校で習ってきた歴史にジェンダーという視点を加えると、新しい気づきがたくさんありました。

古代の日本で、男女が平等だったのか。人々の暮らしぶりまではわかりませんが、少なくとも女性も同じようにリーダーになることができたことで、男性優位の社会よりも多種多様な意見が反映されていたのではないかと想像ができます。

今回紹介したのはほんの一部です。展示終了まで残り2週間弱です。まだ訪れていない人は、ぜひ足を運んでみることをおすすめします。私が訪れたときには、高校生や大学生などの若い世代が目につきました。明日の後編では、なぜジェンダーに関心があるのかと、展示を見て思ったことをお伝えします。

参考記事:

13日付朝日新聞朝刊26面「(ThinkGender)日本の「性差」、歴史学で切り込む 国立歴史民俗博物館が企画展」(文化文芸)

参考資料:

TBSラジオ「荻上チキ・Session」10月9日特集「国立歴史民俗博物館の企画展示『性差(ジェンダー)の日本史』が話題!「男・女」の区分はいつから始まったのか?」荻上チキ×横山百合子