赤いよだれかけを付けたお地蔵さんをみたことありませんか?

筆者は週末、故郷の宇都宮市にある多気山(たげさん)不動尊に訪れました。JR宇都宮駅から車でおよそ30分、市内北西部に位置する多気山(標高377m)の中腹にお寺がたたずみます。参道は木々やアジサイに挟まれ、山寺らしい静寂さを実感できます。境内に入り、本堂までの石段を歩き進めると、中間地点あたりによだれかけを付けた地蔵が立ち並んでいました。目に留まった水子地蔵の歴史を紹介します。

本堂へ続く126段の石段(27日、筆者撮影)

宗派によって呼び方は異なりますが水子(みずこ)地蔵と言われることが一般的です。水子とは流産や死産・中絶によってこの世に生まれることのなかった胎児のことを言います。日本各地に水子地蔵は存在しますが、起源は1970年ごろと歴史は長くありません。仏教でも水子を祀るという教義は無い中、なぜ「水子はたたる」という考え方が広まったのでしょうか。

本堂へ続く石段の中間あたりに立ち並ぶ水子地蔵。赤色は魔除けの意味を持つ(27日、筆者撮影)

江戸時代あたりまでは乳幼児を「人」としてみなしていませんでした。2歳になるまでに概ね2割の子供が亡くなる中、完全な人ではなく、容易に神仏に帰りうる存在とみなされていました。そのため、育てられない乳幼児も、神仏の世界に帰りやすい時期に返すという意味合いで間引きもされていました。そして成仏はせずに、また現世に戻ってきてほしいと願われ、葬儀もされませんでした。しかし、人々にとって中絶は平気な行為だったわけではなく、供養の文化は芽生えていたといいます。

 

そんな間引きは明治時代に入ると刑法で禁止されます。その後、戦争を挟み、終結後の1948年に中絶を認める優生保護法(現・母体保護法)が成立しました。占領下で不本意な妊娠をした女性が多かったことや、農業生産が落ち込む経済的な事情も考慮されたためです。古くから間引きの伝統があったことも法制定において反対意見を少なくさせた一つの要因だとも考えられています。

多気山不動尊の水子堂(27日、筆者撮影)

地蔵が作られる1970年代には、それまでとは供養の方法が変わり、胎児を「人」としてとらえるようになりました。医療の発展によって乳幼児の死亡が劇的に減り、神仏に帰りやすいという古来の考え方が薄まっていきます。また、見えないものを神秘的と捉える文化がある中で、1960年代には超音波診断装置が使われはじめました。妊娠初期の胎児を見ることができるようになったことも、人々の生死感を変化させた要因でしょう。そうした中で優生保護法修正運動なども起こりましたが、女性の権利運動や日本医師会からの反対もあり、実現には至りませんでした。

 

このようなムーブメントの中で水子供養は本格化していきました。この頃には水子供養で大人同様の戒名をつけるなど、以前の供養とは異なってきています。週刊誌を中心としたオカルトブームも相まって「水子がたたる」という噂が全国に広まりました。水子地蔵像が大量に生産されるようになると、商業的な色合いが強くなり、宗教的ではなく社会的な事情で文化が定着したとも捉えられます。

水子地蔵は穏やかな表情でたたずみ、供養に来る人々を見守っているように感じた(27日、筆者撮影)

水子供養は胎児の捉え方の変化と法律などの社会システムが嚙み合わなくなったがゆえに起こった、現代ならではの文化なのです。また、社寺は不調和が起きた際に受け止める役割があるという点で興味深いと感じました。胎児を人として見なす感性があるからこそ、中絶を未然に防ぐ取り組みが大切です。小学校の性教育の障壁と考えられている歯止め規定、すなわち小学校理科で「人の受精に至る過程は取り扱わない」、中学校保健体育で「妊娠の経過は取り扱わない」とする学習指導要領や妊娠・出産を女性だけのイベントと考える文化は、現代の人権意識に合わせて変化させていかなくてはなりません。

 

 

参考記事・文献:

 

4月20日付 朝日新聞デジタル (現場へ!)国家と中絶:1 「不法妊娠」、戦禍の性被害(https://www.asahi.com/articles/DA3S16447640.html?iref=pc_ss_date_article

 

2025年5月14日付朝日新聞デジタル 引き揚げ女性に手術、施設跡で供養祭 看護師の遺族「記憶引き継ぐ」(https://www.asahi.com/articles/AST5G2GH7T5GTIPE009M.html?iref=pc_ss_date_article

 

「水子供養の発生と現状」森栗茂一 1994年(file:///C:/Users/Akinori%20Sato/Downloads/kenkyuhokoku_057_04%20(1).pdf)

 

「水子供養から見る日本人の生命観」清水邦彦(file:///C:/Users/Akinori%20Sato/Downloads/5%20(6).pdf)