炭鉱の島「池島」体験記

みなさんは、長崎と聞いて何を思い浮かべますか。カステラやちゃんぽんといった食べ物。教会や出島、中華街など、海外の文化が混ざり合った異国風の街並みでしょうか。原爆の悲惨さや戦争の歴史について学ぶこともできます。食、文化、歴史まで様々な観光が楽しめる土地ですが、長崎出身の筆者が今、お薦めするのが「炭鉱」です。

先に述べた観光地の影に隠れがちですが、長崎にはかつてたくさんの炭鉱があり、これら石炭産業が西洋から取り入れた技術や産業を発展させる要因となりました。

軍艦島の名称で知られる端島や高島などが有名ですが、今回はその中でも九州最後の炭鉱がある「池島」を訪れました。

池島

長崎市内からフェリー乗り場まで車で1時間ほど、そこからフェリーで30分弱。周囲約4キロの小さな島が見えてきます。港はもともと「鏡が池」と呼ばれる池の陸地の部分を削って作られており、採掘した石炭をそこから船に乗せて運んでいたそうです。

到着してからは、実際に炭鉱内に入ることができるツアーに参加しました。従業員として実際に坑内で働いていた方がガイドとして案内してくれます。

池島炭鉱は1952年に開発が開始され、1959年から石炭の産出が始められたそうです。世界遺産である軍艦島と同様、長崎県内の主要な炭鉱の島でした。石炭の需要が減っていったことに伴って2001年に閉山となったものの、その後はインドネシアやベトナムなどのアジアの国々に対して、石炭の採掘技術を伝える事業を行ってきたそうです。

ツアーは港近くに停められたトロッコに乗って、坑内に入って行くところから始まります。ギシギシと軋み、ガタンゴトンと音を立てながら進んでいくトロッコは歴史を感じます。

坑内

中に入ると太いパイプがいくつもつながっていたり、有害なガスが漏れてきた時に避難するスペースや酸素を供給する装置があったりして、どのような場所で作業していたのかを直接、肌で感じられます。石炭を削るドラムカッターという巨大な装置が動いているところも見学することができました。

「ドラムカッター」これで石炭を採掘する。

ガイドの方によると、作業員が地下へ降りて行く第二立坑の深さは721m。海面下で言うと650mになるそうです。東京スカイツリーの長さとほぼ同じになります。それを秒速約10mで降っていき、約100秒で地下に到達していたと言います。さらにそこから、坑内の電車や人用のベルトコンベアに乗って移動し、作業現場へと向かっていました。「最深部までは約10キロ。往復で3時間かかることもあった」そうです。海底の地下坑道は網の目上に伸びており、その総延長は約96キロにも及んでいたとのことでした。

ツアーの後は、島内を散策。池島の魅力は炭鉱内だけでなく、そこで暮らしていた人々の生活を感じられることです。軍艦島では建物が崩壊してきていることもあり、気軽に島内を歩き回ることはできません。一方で池島は、実際に廃墟になったアパートや当時使用されていた施設を間近でみることができます。

まずは歓楽街のあったエリアへ。スナックやバーの看板があり、商店らしい建物もあります。空き家だらけのこの坂道も、かつては仕事終わりの炭鉱マンで賑わっていたのかもしれません。

スナックだった建物。扉には「スナック千代」と書かれてある。

坂を登り切ると、作業員の住居やアパートがある地区へ。炭鉱が盛んだった時代、島内には最大約8000人が暮らしていたと言います。現在は230人ほど。当然ほとんどのアパートが使われていません。

島内にはたくさんの猫が。むしろ猫の方が多い

奥の方まで進むと、鉄筋コンクリートの炭鉱アパート群が聳え立っています。炭鉱ガイドの方の話によると、「風呂付きの部屋に住めたのは係長クラス以上。平社員や家族はみんな公衆浴場に通っていた」そうです。8階建てでアパートいっぱいに人が住んでいた時代は炭鉱業で相当栄えていたのだと島の歴史を感じることができました。

鉄筋コンクリートのアパート群

歴史ある施設や建物を気軽に見て回ることができる池島。廃墟や炭鉱マニアの方から一般の観光客の人まで、実際に歩いて、肌で感じて、楽しめる場所でした。老朽化で崩壊している部分もあり、保存状態が良いうちに絶対に訪れて欲しいスポットでした。ぜひ長崎へ旅行に来た時には、池島に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。