【特集】オリンピックの現場で目にした選手のメンタルヘルス

7月19日から8月7日までのおよそ3週間、私はオリンピックのビーチバレボールの会場でオリンピック放送機構(OBS: Olympic Broadcasting Services)のメディアスタッフとしてインターンをしていた。

OBSは、世界中150を超える放送局に競技映像・音声・データを提供している国際オリンピック委員会の公式放送機関である。日本の大会組織委員会とは別の組織のため、私の上司にあたる3人のマネージャーもそれぞれイギリス人、ブラジル人、スペイン人で、他の学生の国籍も様々。日本語よりも英語を使うことが多く、インターナショナルな環境で過ごした3週間だった。ちなみに就業する会場は事前に選べず、自宅からの距離の近さで決められた。

私の主な業務は、会場に作られたミックスゾーン(Mixed Zone)と呼ばれる、報道関係者が競技直後の選手に対して取材できる専用スペースへの海外メディア及び選手の誘導、サポートだった。試合後の選手はこのミックスゾーンを通過して退場することが義務付けられているが、必ずしもインタビューに応じる必要はない。

ビーチバレーの会場では太陽がサンサンと砂浜に降り注ぎ、得点が入るたびにDJが音楽をかけるなど、競技自体にエンターテイメント感があった。試合はそのようなお祭り気分の中で行われ、選手も単なる勝ち負けだけに限らないビーチバレーの楽しい雰囲気そのものを楽しんでいるように感じた。そのため、試合後に敗れた選手をミックスゾーンでの取材に誘導する際も、そこまで気を遣うことはなかった。

ビーチバレーの会場として使われた潮風公園。最上段に行けば東京湾の美しい景色を一望できる(7月24日、筆者撮影)

しかし、対応に困った場面が一度だけあった。ポーランドの男子選手が決勝トーナメントで敗退し、メダル獲得のチャンスを逃してしまった試合後。選手が悔しさのあまり座り込んでしまい、ミックスゾーンへの誘導もできないどころか、コーチからの声かけにも応じず会場裏の階段から動けなくなってしまったのだ。身長2メートル近くあるビーチバレーの選手が深くうつむき小さくなっている姿からは、やはりスポーツにはあくまでも勝ち負けがあること、そして世界レベルで闘うということのプレッシャーの大きさや厳しさを感じさせられた。

ミックスゾーンは勝者敗者関係なく同じ通路を通るように作られており、試合に負けた選手は相手国選手への歓喜を横目に進まなければいけない。私には敗れた選手にとってミックスゾーンを通過することは計り知れないほどの悔しさがあるのだろうと想像することしかできなかったが、一見華やかに見えるオリンピック選手の心のうちを垣間見た気がした。

結局その後は、メディアスタッフの私たちが近づけるような雰囲気ではなかったため、少し時間が経ってからコーチの誘導でミックスゾーンを通過したと聞いた。しかし、インタビューには応じなかったみたいだ。

会場の選手出口からそのまま外に続くミックスゾーン。2メートルのソーシャルディスタンスを保つため、選手と報道関係者の間には鉄柵が設けられている(8月6日、筆者撮影)

 

同じオリンピックでも、会場・競技ごとにミックスゾーンの形態や雰囲気は異なるようだ。今大会から正式に協議に仲間入りしたスケートボードの会場で同じOBSのインターンをした友人に話を聞いてみると、スケートボードは若者のストリート文化から発祥したスポーツであるため選手の年齢層も若く、選手同士がお互いの演技を応援し合い、試合終了後も仲良くミックスゾーンに移動していく様子が印象的だったそうだ。

しかし、テニスの会場ではミックスゾーン通過をめぐる混乱があったというニュースを目にした。女子シングルス3回戦で敗れた大坂なおみ選手は、試合後のコートを出るとミックスゾーンを避けて帰りの車に向かったという。そのため関係者が慌てて連れ戻し、彼らの説得を受けて大阪選手も取材に応じたようだ。

オリンピック出場選手はミックスゾーンの通過を拒否した場合、最大2万ドル(約220万円)の罰金が科される可能性がある。取材に応じた大坂選手は「負けた場合でもミックスゾーンを通らないといけないことを知らなかった」「大会に出場したメリットはあった。プレーできたことは良かった」と話したものの、試合の結果にショックを隠せず、涙を流したという。単にテニスの選手としてだけではなく、開会式では聖火の最終ランナーという大役を任された立場としても、インタビューに応じなければいけないストレスも重なっていたように思う。

テニスの会場にも、私と同じように選手をミックスゾーンに誘導するOBSのインターン生はいたはずだ。しかし私もポーランド選手の際は対応に困ったように、試合に敗れた世界トップレベルの選手にはなかなか声をかけづらかっただろうと想像する。あの緊張感のある取材の場で複数のメディアから試合直後に質問の嵐を受けることは、かなり精神的にストレスを伴うのだろうと、アスリートでない私でも感じられた。

 

試合後の選手がミックスゾーンを進む様子(8月4日、筆者撮影)

 

大坂選手は今年5月の全仏オープンで、アスリートである自分自身のメンタルヘルスを重視するという点から、試合後の記者会見に応じないことを宣言していた。賛否両論ある中、大阪選手は実際に1回戦の勝利後、宣言通り会見を行わず1万5000ドルの罰金処分を受けた。その後は大会の棄権も表明し、さらに長い間うつ症状にも悩まされていたことも告白した。

身体的な強さは、精神的な強さとイコールではない。ごく当たり前のことだが、アスリートは私たちとかけ離れた身体能力を持っているというイメージが一人歩きして、様々な試合で活躍する姿を見るとついつい忘れてしまう。

ビーチバレーの会場では、一つの試合が終わった10分後にはまた次の試合が始まるため、選手はそれまでに退場しなければいけなかった。3週間というオリンピックのスケジュールと試合数の関係で仕方ないのかもしれないが、選手にとっては試合後に気持ちを整理するのに十分な時間が与えられていないと感じた。

今回オリンピックでメディアスタッフとして働いたからこそ、一選手のメンタルヘルス、そしてメディアがそれに及ぼす影響を肌で感じ、新たに問題意識が芽生えた。メディアにとって、オリンピックをはじめとする世界的スポーツイベントは多くのオーディエンスを惹きつける必須コンテンツであるのは間違いない。選手の活躍、喜びの姿を全世界に伝え、多くの人に勇気を与えることができる。それと同時に、スポーツにとってもメディアは大きな役割を果たしており、テレビの放映権は大きな収入源になるだけでなく、テレビに取り上げられることで認知度が上がり競技人口が増えるなどその人気をメディアに依存している側面もある。メディアとスポーツは相互依存的な関係にあるからこそ、その狭間で純粋にスポーツを楽しむアスリートたちのメンタルや精神面のケアに、私たちはもっと敏感にならなければいけないだろう。

24日から開幕するパラリンピックは自宅から応援する予定だ。選手が試合で活躍する姿だけでなく、彼らのインタビューの受け答えやメディアの対応にも今まで以上に注目し、想像力を働かせてみたい。

参考記事:朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞 東京オリンピック関連記事