もし戦争が起こっても

 「イラン報復、米国を攻撃」、「イラン、米に報復攻撃」、「イラン報復、緊張一段と」

 9日付各紙朝刊のトップは、ソレイマニ司令官殺害を受け、イラン革命防衛軍がイラクの米軍駐留基地に対して行った報復攻撃の記事で占められていた。

 筆者がこの出来事を最初に知ったのは、8日午前9時5分「【速報】イラク米軍基地にロケット攻撃 イラン革命防衛隊が報復か」のLINE NEWSからであった。

日頃はあまり政治に関心のない学友もこの速報には、「このニュースやばくない?戦争なるんちゃう⁈」と語気を強めていたのが大変印象的だった。

 では、本当に戦争は起こるのであろうか。

 筆者は、恐らく戦争にはならないと考えている。米国のトランプ大統領がイラン革命防衛軍の報復攻撃に対する軍事力行使に否定的な考えを示したこと。そして、イランの限定的な報復攻撃から伝わる全面戦争を避けようとする姿勢など、両国の行動を鑑みると、報復がエスカレートし、全面戦争につながることをともに避けているように見て取れるからである。

 しかし、第一次世界大戦がそうであったように、時に戦争は戦闘国が望まない形で生じてしまうことがある。そう考えるとまだ安心していられないというのが現状であろう。

 では、仮に「イラン戦争」が起こったとしよう。その時、筆者ら一般人はどうするべきなのか。

 結論から言うと、どうすることもできないと考えている。確かに、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」がベトナム戦争中に見せたような反戦運動を来たるべき「イラン戦争」で起こすことは可能である。しかし、左派勢力が衰退し、60年代に比べて政治に対する関心が低くなった今、「ベ平連」規模の反戦運動は考えにくい。

 また、アメリカ国民かイラン国民ならまだしも、日米地位協定も改定できない日本国民がアメリカを抑えられるはずもないのは自明である。

恐らく、「イラン戦争」が起こっても、イラク戦争の時と同じく、多少の抵抗はできても、戦争を止めることは無理であろう。

 結局、戦争を前にして、筆者ら日本の一般人は無力なのである。

 国際政治が激動する時代、人間は自身の無力感を痛切に感じ、厭世的になる傾向がある。五島勉の『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなったのも、第四次中東戦争が起こり、第一次オイルショックが日本を襲った時代であった。また、オウム真理教が信者を拡大していった時期は、冷戦が終わり、地域紛争が深刻化していった「無力さを痛感する時代」と重なる。

 「イラン戦争」が起こった場合、正義感、使命感の強い人ほど、自身の無力感に嫌気が差し、厭世的になるであろう。とはいえ、国際政治の前に真に個人として無力でないの人間は、トランプ大統領、プーチン大統領、習近平国家主席くらいである。大国のリーダーでもない一国民である筆者らが無力を恥じる必要は決してない。

 一人ひとりの国民は国際政治を前に無力感に打ちひしがれることなく、自身の目の前にあるのっぺりとした日常を生き抜いていく覚悟が求められているのではないか、と戦争前夜かもしれない今日思った次第である。

参考記事:

9日付 朝日新聞朝刊 14版1面(大阪)「イラン報復、米国を攻撃」

同日付 読売新聞朝刊 13版1面(大阪)「イラン、米に報復攻撃」

同日付 日本経済新聞朝刊 1面(大阪)「イラン報復 緊張一段と」

9日付 読売新聞夕刊 13版1面(大阪)「米、軍事行動取らず」