「持続可能な社会へ」 何か忘れていないか

2010年の元日、アナログ放送が映る箱型のテレビで「ゆく年くる年」を見ていた。自宅で迎えるいつも通りの年越し。「平成22年を迎えました」とアナウンサーが溌剌とした声で伝える。隣にいる兄は携帯電話でメールの送受信を繰り返していた。当時小学6年生の筆者は眠気を紛らわすべく、ニンテンドーDSiを起動させた。3か月後には中学校へ進学する。2010年をどのように過ごすのだろう、と淡い期待を抱いていた。

2020年の元日、バイト先の新聞社の編集局で新年を迎えた。目の前の薄型テレビにはCNNニュースが流れている。「カルロス・ゴーン氏、日本から出国」。筆者はスマホでLINEの送受信を繰り返した。その間にもニュース速報やTwitterの通知が引っ切り無しに届く。3か月後には社会人生活がスタートする。2020年をどのように過ごすのだろう、と淡い不安を抱いていた。

2010年代が終わった。未曾有の大震災と原発事故、政権交代、56年ぶりの夏季五輪開催決定、スマートフォンの全盛、SNS時代の到来、平成から令和の時代へ。10年前、誰が今日の日本を予測できただろう。1997年生まれの筆者は高度経済成長やバブルを知らない。確かに有効求人倍率はバブル期に匹敵する数値を叩き出し、選り好みしなければ仕事にありつける状況ではあった。景気は緩やかに拡大しているという。しかし「今日より明日が良い時代」は未だに実感できていない。ただ、飛躍的な経済成長が無かった一方で、筆者が生まれてから一度も日本が他国と戦火を交える事態にもならなかった。先人たちが築き上げた「平和な日本」を享受している。

朝刊各紙の社説は2020年代への船出に際して、日本が何をすべきかをそれぞれ主張している。

新年に際してコンビニで全国紙の朝刊を購入した。

日本経済新聞はなすべきことを3つ挙げた。1つは「企業の変革」。具体的に「社会保障などを担う国の体力を強くするには、産業競争力を高めねばならない。(中略)生産性を引き上げてイノベーションを起こすには、たこつぼの組織を壊し、外部人材を起用し、意思決定の速度を上げることが欠かせない。(中略)経営陣が改革を進めるには、年功賃金の見直しや多様な雇用形態の実現などが必要だ」とした。2つ目は「国が責任をもって少子化対策や持続可能な社会保障への転換を推進すること」。「現役世代が引退世代の生活を支える従来のやり方を続けるのには限界がある。(中略)年齢にかかわらず、負担能力に応じて診療代などを払う『応能負担』を徹底する。これは社会保証全般に共通する課題だ」。そして3つ目は「エネルギー・環境政策を一体として立案し、工程表をつくること」。国際社会で石炭火力発電に依存する日本が非難されている中、原発の再稼働は立地自治体の理解を得るのが容易ではないことに言及。「再生エネルギーを使いやすい電源にし、その比重を高めるイノベーションが是が非でも必要なのだ」とした。

「日本は今、長い歴史の中でみれば、まれにみる平和と繁栄を享受している」。読売新聞は現在の日本の「豊かさ」を列挙し、繁栄を次世代へいかに引き継ぐかを説いていた。「世界に大きな戦争の兆しはない。安倍首相の長期政権下で政治は安定している。(中略)景気は緩やかに拡大している。失業率は2%台で主要国の最低水準だ。治安は良い。健康、医療、衛生面の施策も整う」。その上で「起点とすべきは多くの国々がうらやむ日本の総合的、相対的な『豊かさ』を正当に評価し、これまでの発展と政治や社会の対応力に自信を持つことである」とした。日米同盟と日中対話の重要性、そして朝鮮半島情勢の警戒を強調。さらに「社会の安定は、経済活動の基盤である」と経済分野の変革にも言及し、政府によるデジタル化時代の人材育成と労働者の再教育、再就職支援の強化が必要であるとした。一方「国の財政は厳しい」と懸念し、民間企業の内部留保や家計が保有する休眠預金など「眠れる資金」を活用する方法に触れた。

朝日新聞は「国連の『持続可能な開発目標』(SDGs)は、17の『普遍的な』目標を掲げている。(中略)めざすべき世界像としてSDGsも掲げるこれらの言葉は、西洋近代が打ち立てた普遍的な理念として、今日に生きる」と、国境を超えた物差しとしてSDGsの役割を説いた。しかし、昨今のナショナリズムや右派ポピュリズムの台頭で「普遍離れ」の傾向を指摘。転じて、日本の問題点にも言及した。「国会での論戦を徹底して避け、権力分立の原理をないがしろにする。メディア批判を重ね、報道の自由や表現の自由を威圧する。批判者や少数者に対する差別的、攻撃的な扱いをためらわない。戦前回帰的な歴史観やら排外主義的な外交論も、政権の内外で広く語られる」「『普遍離れ』という点で、世界の憂うべき潮流と軌を一にしていることはまぎれもない」。この点について読売新聞は社説で「諸外国が苦しむ政治や社会の深刻な分断やポピュリズムの蔓延もみられない」としていた。朝日新聞とは真逆の論調を取った形だ。

さらに朝日新聞はSDGsの理念を挙げ、説いた。「SGDsはうたう。『我々は、貧困を終わらせることに成功する最初の世代になりうる。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代にもなるかもしれない』。高く掲げられた理念は、差し迫った眼前の危機を乗り越えるためにこそある」

日経、読売両紙は今年の東京五輪・パラリンや経済、社会保障などに触れる中、朝日新聞はそれらに一切言及しなかった。各紙の主張は分かれていたものの、いずれも「持続可能な社会」を焦点にしていた。2020年代の私たちの行動次第で、次世代の運命が左右される。ここが正念場だ。

ただ、東北生まれの筆者にとって残念だったのは、毎日、産経も含めた全国紙がいずれも東京電力福島第一原発事故の処理について触れなかったことである。廃炉処理までかかる年数は私たちの生涯をもってしてもまだ足りない可能性がある。事故の後始末を無視して「持続可能な社会」は有り得ない。五輪・パラリンも重要な行事かもしれないが、2011年3月11日からの宿題を忘れてはならない。

参考記事:
1日付朝日新聞朝刊(東京14版)11面「社説 2020年代の世界 『人類普遍』を手放さずに」
同日付読売新聞朝刊(東京13版S)3面「社説 平和と繁栄をどう引き継ぐか 『変革』に挑む気概を失うまい」
同日付日本経済新聞朝刊(東京13版)2面「社説 次世代に持続可能な国を引き継ごう」