SNSの中心で若者は「ンゴ」と叫ぶ

 世界の15歳を対象に3年ごとに「読解力」、「数学的リテラシー」、「科学的リテラシーの力」を調べる学習到達調査(PISA)で、日本の「読解力」が前回15年調査の8位から15位に大きく順位を下げた。4日付朝日新聞、読売新聞朝刊は一面で、それぞれ「日本、『読解力』続落15位」、「日本『読解力』急落15位」と大々的に報じていた。

 4日付読売新聞の社説は、「スマートフォンの普及により、子供たちのコミュニケーションでは、仲間同士の短文や絵文字のやりとりが中心になった。長い文章をきちんと読み、分かりやすい文章を書く機会が減っている」と分析。さらに、5日付の読売新聞は「日本の国語力が危ない」との特集を組み、読解力低下の原因がSNSの普及にあると指摘している。

 確かに、読売新聞の社説が指摘する「若年層で短文や絵文字のやりとりが中心となった」ことにより、「長い文章をきちんと読み、分かりやすい文章を書く機会が減っている」との批判は的外れではなかろう。しかし、筆者は「読解力」急落の背景には、より根源的な問題があると考える。

 その問題とは、SNSの普及がもたらした若者の間での、「反言文一致」的傾向である。

 「言文一致」とは、話し言葉に近い形で文章を書くことであり、日本では明治から大正にかけて「言文一致運動」が小説家を中心に推し進められてきた。日本の近代化と同時並行で浸透していき、現在では法律でさえ、文語体から口語体となっている。

 二葉亭四迷や尾崎紅葉ら先人たちが苦節の末に成し遂げた「文言一致」であるが、現代の若者達はそれに反旗を翻そうとしているのだ。

 それを象徴するのが、「ンゴ」という言葉である。「ンゴ」とはSNS上で使われる言葉であり、それ自体に意味はない。ただ語尾に「ンゴ」をつけることで、文章を強調したりするのに使用する言葉である。古典でいうところの枕詞に近い存在であろうか。

(実例1)

①Aさん「どこにいるンゴ?」

 Bさん「教室ンゴ!」

 筆者もLINEなどのSNS上では、頻繁に使用するが、日常会話では決して「ンゴ」を語尾につけることはない。この「ンゴ」という言葉のSNSでの急速な普及は、SNS上の文語と日常会話である口語との乖離が若者間で進んでいることを示している。

 「ンゴ」の様な「反言文一致」的傾向を持つ言葉は、好きを表す「すこ」や「好きピ」、JC・JK流行語大賞2019の「コトバ部門」の1位に選出された悲しいを意味する「ぴえん」などが挙げられる。

 ただ、これにとどまらない。一部では「反言文一致」的傾向にどころか、SNS上の文語を口語で使用する「『文言』一致」的傾向まで見られるようになっている。

 その代表例が若者の間で普及している「草」という言葉であろう。「草」とは、ネット上で笑える、笑っている状況を表現する言葉であり、元来、「笑」を意味する「w」が草に見えることに由来する。

(実例)

①「その話まじでおもろいwwwww」

②「その話まじでおもろい草」

③「その話まじで草」

「草」は「w」に代わる形で若者間に普及していった。(実例①から②)。そして、「草」の勢いは「w」の座を奪っただけでは収まらず、「草」単体で「ウケる!」、「おもろい!」との意味を持つようになってきた。実例③の段階である。かく言う筆者も含め大半の若者は、「草」を実例③の用法で使用している。

 「草」は単体で「おもろい!」の意味を有した後、文語から口語に侵食していった。そして、現在では多くの若者が日常会話で「まじでおもろい」と言う代わりに「まじで草」と言っている。

 「草」の様なSNS上の文語から口語に浸透していった「文言一致」的傾向を持つ言葉は、一人称の「わい」やありがとうを意味する「あざまる(水産)」、「マジ卍(まじまんじ)」などが挙げられる。

 以上の実例が示すとおり、文語でありながら、日常会話(口語)にまで浸透しつつあるのが、SNS上に形成された独自の言語空間である。そうした若者にとって、本や新聞の文章は外国語と同じ感覚になりつつあるのであろう。それ故に、近代日本が確立してきた言語体系に適しているか否かを測る「読解力」の試験で順位が急落したように思える。

 筆者らSNSとともに育った若者は、大人とは異なる言語空間で暮らすようになっている。この事実を認識した上で、読解力低下への対策を政府や文科省は講じるべきではないか。

参考記事:

4日付 朝日新聞朝刊14版1面「日本、『読解力』続落15位」

4日付 読売新聞朝刊13版1面「日本『読解力』急落15位」

4日付 読売新聞朝刊13版3面「社説 読解力低下に歯止めかけたい」

5日付 読売新聞朝刊13版1、34面「国語力が危ない 上・下」