BGMから社会を変える

ある官僚の方と会食をした際、質問をぶつけてみた。
「霞ヶ関の官庁街でよくデモや集会を見かけますけど、正直なところ官僚の人たちはどのように受け止めていますか?」。
彼は食事の手を止めて答えた。
「建物の中にいても聞こえるよ。個人的にはBGMだと思っている」。
国政に疑問を投げかける声を、冷静にとらえていた。「BGM」との表現に引っ掛かりを覚えたが、その後に続いた答えにハッとさせられた。
「あそこに集まっている国民は全体の中のごくごく一部に過ぎないし、我々がいちいちそれに振り回されていたら国が揺らいでしまう。でも、もし集会の人数が1万人、10万人、100万人と増え続けるなら、それはもはや一部の声ではなくなるし、無視してはいけない存在になると思う」

昨日、筆者は文部科学省前で開催された「表現の自由を取り戻す #1108文科省前行動」に足を運んだ。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の補助金全額不交付に抗議をするマスコミや音楽家の労働組合、表現の自由の縮小に憂慮する出版労組の関係者およそ180名が集い、文科省内にある文化庁に向けて抗議の声をあげた。トリエンナーレの参加アーティストが結成したプロジェクト「ReFreedom_Aichi」は、不交付撤回を求める署名10万筆を同日文化庁に提出したが、応対したのは管理職ではない一般職員だった、同プロジェクトは1ヶ月以上前から宮田亮平長官との面会を求めていた。マイクを持った新聞労連幹部は「不誠実な対応をされたことは残念だ」と遺憾の念を露わにしていた。

文科省前に横断幕を張り出した。8日、東京都千代田区の文科省前で筆者撮影

出版労組からの参加者は厳しい学習指導要領によって教科書の多様性が無くなりつつあることに触れ「国が求める指導要領によって似通った教科書ばかりが世に出ている。指導要領を守るためでなく、子どもたちが未来を生きる力を作るために教科書を作る必要がある」と訴えた。また、映画「新聞記者」の河村光庸プロデューサーがメッセージを寄せ「映画の製作過程に政治的圧力は全くなかった。しかし政権の意見への忖度や同調圧力という暗雲が立ち込めていることを作品への反響から痛感した」とコメントした。

「検閲ドミノを防げ」「表現の自由守ろう」。行動の初めと終わりに参加者は声を揃え、文科省の庁舎に向かって声をあげた。その前を、官僚と思しきスーツ姿の人たちが無言で通り過ぎていった。官僚たちは今回の声を「BGM」として聞いていたかもしれない、10万筆の署名をもってしてもなお、長官は姿を現さなかった。

前述した官僚の言葉を思い起こす。「もし集会の人数が1万人、10万人、100万人と増え続けるなら、それはもはや一部の声ではなくなるし、無視してはいけない存在になると思う」。必要なのは、声を上げる勇気だ。賛成だろうが、反対だろうが、外に出て顔を出し、声を上げなければ事態は何も変わらない。団結する表現者たちの姿から、トリエンナーレの問題を傍観するだけだった自分を省みた。

今朝になって朝刊を読むと衝撃的な記事が目に飛び込んだ。香港の抗議運動で犠牲者が出たという。亡くなったのは私と同い年の学生だった。デモに関係した初めての死者だという。声を上げる勇気を持った同世代が命を落とした。
平穏な大学生活を送る自分を、改めて省みた。彼の冥福を祈りたい。

我衷心祈祷着他的冥福

参考記事:
8日朝日新聞デジタル「あいトリ補助金不交付、署名提出せず 文化庁の対応不服」
9日読売新聞朝刊(東京13版S)1面「香港デモ 大学生死亡」