9月を迎えました。振り返ってみると、8月は広島・長崎の「原爆の日」や「終戦の日」など歴史的な日が多いためか、紙面には戦争に関する記事が溢れていました。いわゆる「8月ジャーナリズム」です。
戦争に関する日は、東京大空襲が起きた3月10日や沖縄での組織的戦闘が終結した「慰霊の日」など、他の月にもあります。にもかかわらず、戦争報道は夏ばかりに集中しています。本来ならば、1年を通して伝えていくべきです。
一方で、8月を「戦争を伝える月」にすることで、改めて人々に戦争と平和を考えさせる効果もあります。多くの場合、人間は慣れが生じると、重要なことや特別なことも気に留めなくなってしまいます。1年の中の決まった時期に集中させることで、毎年必ず思い出す機会を与えることができます。
とはいえ、「8月ジャーナリズム」によるマンネリ感も否めません。以前、紙面で「8月になると似たような記事が増え、『またやっている』という印象を受けてしまう」という読者の声を目にしました。いつ、どのような形で伝えていくのが最善なのでしょうか。
さて、語り継ぐ「時期」から「人」に目を向けてみましょう。総務省の昨年10月の統計によれば、終戦前に生まれた人は全人口のたった16%にまで減りました。戦争を体験した人が少なくなり、社会全体から戦争の記憶が失われつつあります。戦争を伝えるアクターも、経験者から非経験者へと交代していく必要があります。ですが、戦争を体験していない人間が他者の記憶や過去の歴史を伝えることは、果たして可能なことなのでしょうか。
筆者は、都内の戦争史料館で「戦後生まれの語り部」になるため、3年間研修を受けてきました。10月から、来館者を前に語り部として体験者の記憶を伝えることになります。戦争の何を誰にどのように伝えればいいのか。ずっと考えてきました。
でも、結局、答えは出ませんでした。「戦争体験」と一口に言っても、様々な立場の人が異なる体験をしています。どれだけ話を聞いても、映像を見ても、歴史を学んでも、自分は理解できているのか、自分の解釈は合っているのか、不安は拭えませんでした。体験者の言葉ほど心に響くものはありません。戦後生まれの自分にできることはあるのだろうか。
そう考え続ける中で、気づいたことがあります。それは、「経験していないからこそ伝えられることもある」ということです。
紙面に、20代の読者の率直な声を見つけました。
「戦争の残酷な事実を読んだり、聞いたりしても、フィクションを読んでいるような気持ちになり、どうすればリアリティーを持って受け止められるのか悩んだ」
そんな聞き手に、よりわかりやすく伝えることができるのは、同じ戦後生まれなのかもしれません。若い世代が身近に感じられる切り口や理解しやすい言葉で説明するのは、体験者よりも得意なはずです。経験していない分、自分の体験にこだわらず全体を俯瞰して伝えることもできます。
東京都・江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」では、館長が交代しました。約17年間館長を務めた早乙女勝元さんは、12歳で東京大空襲に遭った戦争経験者。一方、新館長の吉田裕さんは戦後生まれです。「戦争を体験した世代と、両親とも戦争を知らない世代の間に橋をかけたい」と語っています。
戦争を語り継ぐ「橋」になれるよう、戦後生まれの感性で伝え続けていこう。筆者は、いま気持ちを新たにしています。
参考:
1日付 読売新聞朝刊(東京14版)28面(地域)「戦争語り継ぐ『橋』に」
6月25日付 朝日新聞朝刊(東京13版)17面(オピニオン)「平和 伝えるために」