被害と加害に向き合う

 

8月も残り1週間となりました。皆さん、今夏はどんな思い出が出来ましたか。

花火大会、帰省、キャンプ、海水浴。他の季節と比べワクワクする行事が続いているように思えます。しかしその一方で日本人として迎えなくてはならない日が多いのも特徴です。6日、9日、15日。あらたにすでも原爆や終戦に関する記事が多く投稿されました。苦い季節でもあるのです。

筆者にとっては「歴史と向き合った」夏になりました。「歴史を知る」、「歴史を伝える」ではなく「向き合った」のです。本日は筆者の夏を伝えるとともに、何を感じ、考えたのか皆さんと共有できたらと思います。

留学先の韓国で様々なことを体験することになりました。まず8月15日。日本では終戦記念日ですが、韓国では光復節といいます。つまり日本による植民地支配からの解放をお祝いする日です。1週間ほど前には、日本大使館から「8月15日の『光復節』などに際する日本関連デモ・集会に関する注意喚起」といった表題でデモや集会に近づかないよう呼びかけがありました。

しかし、韓国にいるからには直接見て聞いて雰囲気を感じたいもの。あらたにすでお世話になっている猪股修平さんと韓国人の知人らとともにソウル市内を回りました。市庁駅周辺で行っていたデモには元徴用工のイチュンシクさんの姿が。杖を携えながら安倍首相を糾弾する声を市民たちとともに上げていました。筆者にとって印象的だったのは同世代の若者がデモや集会に多く参加していた点です。日本ではあまり見かけない光景だなと思いました。

次に思い出深いのは民間団体が主催しているワークショップで訪れた植民地歴史博物館です。資料館の1階には戦時中に朝鮮半島の人々がどこでどのようにして亡くなったのか知るために、日本政府に資料請求した際の書類が展示してありました。2階は植民地支配の始まりから終わりまでの展示。この博物館は市民の寄付などで設立され、国が建てた大韓民国歴史博物館と比べオーラルヒストリーを伝える場としての役割を果たしているなと感じました。

デモや植民地歴史博物館以外にも今月は様々な博物館を回り、戦争について学ぶ機会が多くありました。その中で筆者が強く意識するようになったのは日本人であるということです。それはつまり「加害国」としての日本を意識するようになったということです。

本日の朝日新聞朝刊では1966年から始まった文化大革命での「被害」と「加害」に向き合う中国人女性にインタビューをしています。中でも印象的だったのは以下の会話です。

 

―それ(筆者注:文化大革命に関する調査を行う中で中国人から批判が来ること)は自らの加害行為を認めたくない中国人たちの圧力ということですか。

  「南京大虐殺を調べる学者は支持され、募金の呼びかけもあるのに、文革を調べる学者は調査をやめろと言われる。同じように中国人の死について調べているのにですよ。(中略)すべての歴史に対し、事実は事実として認めるべきだと思います」

 

―習近平体制になって、教科書の文革についての記述が大幅に後退しました。

  「ジョージ・オーウェルの『1984』には『過去を支配するものは未来まで支配する。現在を支配するものは過去まで支配する』との言葉が出てきます。まさにその通りです。誰かが勝手に私たちの過去をコントロールしないように、歴史の事実を明らかにし続ける必要があります。自分の未来は自分でつくらなければなりません」

 

振り返ってみると筆者が小学校や中学校時代に習ったことといえば原爆の恐ろしさや空襲の被害に関することばかりでした。日本という国が他国で何をしていたのかはあまり勉強しなかったように思います。大学生になり受講したい授業を自由に選択できるようになって初めて731部隊について詳細を学びました。「被害国」としての日本を学ぶ機会は多くありましたが、「加害国」としての日本を学ぶ機会は少ないのではないでしょうか。

適切な表現が難しいのですが、訴えやすいことは訴え、訴えにくいことは黙っておく、ということです。みな平和を願ってはいるわけですが、そこに到達するまでのアプローチ方法が異なっているのだと信じたいのですが。

習近平体制になって文革に関する記述が後退したのも他人事ではありません。日本もまた以前と比べると、慰安婦に関する記述が教科書から少なくなっているといいます。加害行為から目をそらしたいのも、同じ国民としてわからないわけではありません。しかしそこに「被害」が存在したことを考えると向き合わなければならないのです。

「歴史と向き合う」とはどういうことか考えてきました。それは歴史を知り、歴史を伝えるまでの通過点なのではないでしょうか。加害国としての歴史を知り、今後このような事がないように後世に伝えるには、その覚悟が求められます。

戦争を経験しておらず、体験した人も身近にいないようになるなかで、「加害国」としての歴史とどう向き合うのか。これからも絶えず考え、発信していかねばなりません。

 

参考記事:

8月24日朝日新聞朝刊「(インタビュー)絡み合う、被害と加害 歴史学者・米シカゴ大学講師、王友琴さん」