母校の後輩が自殺  学校に求められていることとは

10連休最終日の昨日、あるニュースにやるせない気持ちになった。茨城県の市立中学校に通う女子生徒が自殺したことを受け、市教育委員会が記者会見を開いたという。顧問の男性教員の不適切な指導が一因になった可能性がある。

学校生活に起因した自殺が後を絶たない。

四月上旬筆者のもとにも耳を疑うような情報が入ってきた。母校の後輩が自殺をしたとのことだった。ツイッターには「佐賀県 中学生自殺」と見出しがついた記事がちらほら。当時の同級生のなかには「学校終わったな」とSNS上で書き込む人もいた。

自殺をした生徒は当時中学二年生だった。寮生活を送っていて、終業式翌日、帰省中にマンションから飛び降りた。生徒のポケットからはいじめを受けたことが記された遺書が見つかったという。

亡くなった後輩のことを思うと、自らの中学生時代と比較してしまう。

筆者は中学時代、これまでの人生で最も精神的に不安定な時期があった。入学したばかりの頃だ。自殺をした生徒と同じように寮生活を送っていて、慣れない環境に適応できないでいた。最初は両親に「学校に行きたくない」と電話越しに漏らすだけだったが、4月中旬になるとクラスに行くことが出来なくなった。授業を受けるクラスメイトを教室の後ろにある窓越しに廊下から眺めていた。

下旬には「死にたい」と考えることは何度もあった。それでも卒業できたのは辛抱強く支えてくれた人たちがいたからだ。

先生たちは、「教室に行きたくない」と号泣する筆者を寮から保健室まで連れて行ってくれ、どんな時も話を聞いてくれた。授業についていけなくなるといけないからと個人授業も受けることができた。一つ一つの小さな優しさに心を開いていったのを思い出す。

 

だからこそ、生きようと思えた自分と彼の間で何が違ったのだろうと考えてしまう。様々な要因が重なり合っていたとは思うが、学校そのものが数年前と変わってしまったことはあげられるだろう。

文部科学省の事業に選定された。新たなコースが設置された。ここ数年の母校は受験生に魅力を感じてもらおうと様々なことに取り組んでいる。確かにそれらは学校の知名度を上がるために重要なものだったのかもしれない。しかし、仕組みづくりに熱心になるあまり、今いる生徒たちとしっかり向き合っていなかったのではなかろうか。

ひとくちに学校生活が起因といっても、いじめや不適切な指導など中身はさまざまだ。しかし、どのような原因であろうと生徒の異変にいち早く気付くのは教員であるはずだ。一日のうち大半は学校内で過ごしているのだから。

生徒が自殺してから第三者委員会を設置しても遅い。ひとつの命がなくなってしまう前に寄り添ってあげてほしい。

 

出来ることなら家族もまた学校でいじめに関するアンケートが日常的に行われているか、カウンセリング室が機能しているか確認すべきである。受験をする時の子供は、部活動やキャンパスライフなどキラキラした部分しか見ない。家族はそれだけでなく、万が一の時に備え、学校が生徒にどんな姿勢で向き合っているのか、という点について調べておくべきである。

 

保健室登校をしていた時、先生に言われた言葉が今でも心の支えになっている。

「ショベルカーのように生きろ」

運ぶ土の量は少ないけれど、毎日積み重ねていけば建物や道路は完成する。少しずつでいいから前に進みなさいということだと思う。

 

「ショベルカーのように生きろ」。そう言ってくれる先生が増えてくれることを願う。

 

参考記事:

5月7日付朝日新聞「いじめ社会問題となった平成 父に届いた手紙は700通」

5月6日付朝日新聞「顧問の教諭『殺すぞ』『殴るぞ』 自殺の中3女子がメモ」