裁判員制度、目的は何だったのか

今回、裁判員裁判による地裁段階の死刑判決2件を高裁が無期懲役に減刑し、最高裁がこれを支持する判断を示しました。新聞各社も、「最高裁死刑破棄 裁判員に公平さと慎重さ求めた」(7日読売新聞)、「裁判位制度の課題を示した最高裁決定」(15日付日経新聞)など大きく取り上げています。

これに対し、21日付朝日新聞のオピニオン面では、裁判員経験者の一般市民、弁護士、元判事補佐官という異なる立場にある三者の考えを取り上げていました。「市民感覚」が覆されたとの指摘もある最高裁決定に関しては、そろって妥当だと述べています。たとえ裁判員が参加することで「民意の反映」が前進したからといって、それが直ちに従来の量刑基準まで変えてもいいということにならないこと、死刑については慎重であるべきであること、という2点を理由としてあげています。私もこれに対しては同感で、「市民感覚」が覆されたとは全く思いません。

ただ、これの延長線上の議論としての、裁判員制度の運用については異なる見解を示しています。裁判に関わる2人の識者は、一般市民は知識があまりないこと、心理的負担が大きいことなどの理由から、裁判員への参加を希望者制にすることや、裁判員経験者など法廷での審理に慣れた人を起用する、など何らかの選抜を提案しています。一方、裁判員経験者の方は「マスコミや国による情報公開」を求めています。

マスコミや教育機関が一般市民に対し、司法に関する情報の提供に努め教育の機会を提供するべきだと思います。私は、今週初めて裁判を傍聴しました。その時に、「感情」が揺れてしまう感覚を覚えたのと同時に、一般市民がもっと司法の場に参加するべきだと強く感じました。選抜制度など一部の人だけではなく、より多くの国民に対して、裁判員制度導入の目的の一つである「司法に対する国民の理解の増進」を徹底する必要があります。

 

【参考記事】

21日付 朝日新聞(12版)17面「覆った死刑と裁判員制度」