浮気か、本気か、いけないことか。

恋人の浮気って許せる? どこからが浮気?

と、いう話題。誰しも一度はしたことがあるでしょう。こういった話題を聞くにつけ、「許さないってじゃあどうするんだろう」とか「異性と一緒に歩いてるだけで浮気とか言われたらやだなぁ」と尾も足り燃しますが、本日の読売新聞朝刊、「人生案内」のコーナーに投げ込まれたのも、そんなお悩み。

投稿者は60代女性。定年を迎えた夫が、妻である自分ではない別の女性と付き合い始めたそう。投稿者の女性自身はそれを偶然知り、夫に問い詰めると、たまに食事に行ったり、散歩をして楽しんでいたりしたそうです。女性としてはやはり夫のことが好きなので、相手女性と別れてほしいと頼んではみたものの、夫と相手女性との関係はなんだかんだ切れていないそう。

よくある話と言えば、本当によくある話です。60代70代になって恋愛をする元気があるというのは、むしろ男性としてかなり健全なのではないかとさえ思えてきます。

さて、個人的なことになりますが、私は浮気は容認派です。風俗に行ってもらってもかまいません。今回取り上げた夫婦の場合は、夫側の不貞行為、つまり相手女性との肉体関係があったのかどうかまではわかりません。ですが私としては、肉体関係があることよりも和やかに手をつながれている方が気持ちとしては嫌です。そして、それを隠されていたことが、もし私だったら一番嫌です。

そう考えるようになったのも、「ポリアモリー」というライフスタイルをとる男性からアプローチをされた経験があるからです。ポリアモリー、漢字で書くと複数愛と呼ばれる恋愛のスタイルなのですが、早い話が恋人を一人に限定しない、それを各パートナーにオープンにして、お互い了承した上で恋愛をするというやり方。

それまでは、周りがだめって言ってるから浮気ってきっとだめなんだろうな、恋人って一人にしないと不誠実っていうことになるんだろうな、と思っていました。けれどもその一件があってから、そもそも浮気とは何なのか、パートナーは必ずしも一人でなければいけないのか、ということを考えるようになりました。

考え始めると不思議なことに、私が本当に嫌だったのは「浮気をされること」ではなく、「浮気をしている、つまり悪いことをしている自覚があるのにそれを隠されていること」だと思うようになりました。要するに、言ってくれれば、そのうえで私をないがしろにしなければオーケーじゃないか、ということです。

そういう器用なことができる人って、あんまりいません。自分のこと、仕事のこと、家のこと、友達のこと、すでにいろいろ抱えているうえに重なってくる恋人のことって、幸せなことではあるけれどウエイトとしてはかなりのもの。それを、すべてをないがしろにしないようにちょうどいい塩梅でやりくりできる人の総力ってきっとすごいんだと思うんです。

社会はどんどん変化して、様々な自由が許されるようになりました。多様性、などという言葉をつけられ、人に迷惑をかけず、本人たちがよければよい。そういう生き方が許されるようになってきました。

皆さんは、浮気ってどこからだと思いますか。パートナーの浮気、許せるでしょうか。

そもそもそんなことを考える必要って、本当にあるのでしょうか。

参考記事:
3日付 読売新聞朝刊(大阪13版) 23面(くらし) 「人生案内 定年後女性と付き合い始めた夫」