子どもへの虐待 保護者支援を考える

また幼い命を救えなかった。

先月24日、千葉県野田市で小学4年の栗原心愛(みあ)さんが自宅浴室で死亡し、父の勇一郎容疑者が傷害容疑で逮捕された。司法解剖では、死因は明らかになっていない。心愛さんは学校のアンケートで、「夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりしています」と父親からの暴力を訴えていたという。この回答のコピーが、勇一郎容疑者の要求によって市教育委員会から渡されていたことが明らかになり、市と同委員会に抗議が寄せられている。

新聞報道によれば、アンケートでの訴えをもとに、心愛さんは2017年11月7日~12月27日まで県柏児相に一時保護された。近くの親族宅での生活を経て、18年3月初めから両親との同居を再開。その後も虐待は続いたと見られている。一時保護の解除について、2日の読売新聞では次のように説明されている。

一時保護に腹を立てた栗原容疑者が「誘拐だ」などと猛反発したことが背景にあった。栗原容疑者は、児相との面談でも「心愛さんへの虐待」を頑として認めず、児相は12月27日、父親への恐怖心が和らいできたなどとして、一時保護を解除した。

同居再開後も学校や市、児相で見守りを続けてきたが、今年に入ってからの長期欠席に対して児相の自宅訪問は行われなかったという。

先月29日の朝日新聞夕刊によれば、勇一郎容疑者は県警の調べに対し「しつけで、けがをさせるつもりはなかった」と供述している。苛立ちや怒りといった感情にまかせて子どもに苦痛を与えるようなやり方は、しつけとは呼べないだろう。

虐待を受けた子どもの保護やケアは重要だが、親の行動や認識が変わらなければ問題は根本的には解決しない。子どもとの関係がうまくいかない背景として、自身も幼少期に親から暴力を受けていた、子育ての悩みや経済的不安を抱えて孤立している、などのケースがある。自身の被虐待経験から体や心の暴力を正当化してしまったり、精神疾患等によって共感力が乏しくなっていたりして、虐待を認められないことがある。こうした背景がいくつも絡み合っていると、一時的なカウンセリングや指導だけではどうしても不十分になる。

私は、つきまといや待ち伏せなどのストーカー被害に遭っていたことがある。相手は同じ大学の学生だったため、大学や友人などを通じて注意をしてもらったが、完全に止めることはできなかった。なぜ私に執着するのか、「やめてほしい」と何度も訴えているのにどうしてストーキングを続けてしまうのか、といくつも疑問を感じた。自分もいろいろな人に話を聞いてもらったが、真に支援が必要だったのは相手の方ではなかったか。

虐待に限らず、人を力や恐怖によって支配し、傷つけることは断じてあってはならない。心愛さんが亡くなった事件では、一時保護の解除時に父親に対してどのような根拠で評価がなされていたのか、その判断は妥当だったかという点を、さらに検証していくことが必要だ。

参考記事:2日付 各紙「千葉・小4死亡」関連面
1月29日付 朝日新聞夕刊(東京4版)11面(社会)「深夜に立たせる、常態化か 父親、保護解除後に 千葉・小4死亡」