やりたいこと of 2019

明けましておめでとうございます。2019年、とうとう始まってしまいましたね。冬休みに入ってしまったおかげで日付の感覚はほとんどありませんが、実家に帰ってそばや雑煮を食べ、年末年始のセールに行くこの感じはまさしく2019年といったところ。去年と特にはかわりばえはしませんが。

さて皆さん、月並みな話題ですが、今年の抱負は何でしょう。単位でしょうか、それともキャリア? ちなみに私は早寝早起き。2018年は結局達成できない目標でした。

それともうひとつは、整理整頓。いつか記事にもしたかと思いますが、とにかくお片付けは本当に苦手です。自分の部屋だけではありません。身の回りの物全部。やらなくてもいいのに抱えていたものや、本当は距離を置きたい人間関係、そういったものも、この際すっぱり綺麗にしてしまおうというのが今年の目標です。

新年早々、どの記事を取り上げようか迷いました。あまり具体的で社会的な話題はあげたくありません。それでも何か新聞の記事をきっかけにしなければならない苦肉の策で、今日の朝刊に取り上げられたこんな記事と、今年の抱負をかけてみました。

「カイシャで生きる1 息苦しい霞が関 折り合えた」。省庁に勤める「キャリア官僚」の松尾さんは、省庁という「カイシャ」の歯車として働くうちに、自分がなんのために働いてるのか、何のために生きているのか次第にわからなくなっていったそうです。一方で残業時間は月に200時間を超え、自分に割り振られた仕事がなんの役に立つのかと聞けば「上司がそういうから」という答えを返される毎日。

精神科で診療を受け仕事を休職し、現在では林野庁に所属して現場に近い場所で、人とかかわりを持つ仕事にやりがいを感じているといいます。「休んだ時点で吹っ切れた。世界は広い。組織の中がすべてじゃない」そう。官僚になるような賢い人でも、いったんドツボにはまると今まで見えていたものが見えなくなってしまうみたいです。

その人にとってどんなものが大切になるかは、その人にしか決められません。松尾さんが辟易したお役所仕事が何よりも大切だと思う人だっています。けれども、本当に必要なことにしろ、必要というわけではないのに抱え込んでしまったものにしろ、一度抱え込んだものを捨てるのには勇気がいります。もうやめた、という一言がどれほど出難いものか。私もここ数年間で痛いほど勉強しました。

今年、私は「捨てる年」にしようと思っています。死ぬこと以外かすり傷、多少のことでは人間死にません。ちょっと取捨選択をトチったとしても、まあなんとかなるでしょう。それくらいの気持ちで。それを友人に話したら、そんなことでは社会でやっていけないと言われてしまいましたが、それは社会に出てから自分で勉強します。

平静が終わり次の元号は何かと待ちわびる、ちょっと特別な新年。来年度から新しい生活が始まる人も、たいして何が変わるわけでもない人も、小さな抱負をたててみてはいかがでしょう。紙に書くのがおすすめです。無理だと思ったら破いて捨てるとすっきりします。

参考記事:
1日付 朝日新聞朝刊(東京13版) 4面(経済) 「息苦しい霞が関 折り合えた」