「箱根」から、世界へ

五輪の最終日といえば、そう男子マラソンです。マラソンは、紀元前450年頃の「マラトンの戦い」における故事に由来しています。ギリシャ兵士が戦場からアテネまでの約40キロを走り抜いて勝利を報告したあと、その場で力尽きて息途絶えてしまったというものです。地名「マラトン」を英語読みしたものが語源で、第1回大会のギリシャ五輪から採用されています。

かつてはメダルを量産し日本のお家芸ともいわれた競技ですが、近年は低迷が続いていました。特に男子においての五輪メダル獲得は、1992年から遠ざかっています。

そんな中、今年に入ってからは復活の機運が高まっています。昨日行われた福岡国際マラソンでは、服部勇馬選手(トヨタ自動車)が日本歴代8位の記録をマーク。日本人では14年ぶりの優勝を飾りました。ゴール直後に見せた、歓喜にあふれた充実の表情が印象的でした。

服部選手に加え、2002年ぶりに日本記録を更新した設楽悠太選手、その後再び日本記録をマークした大迫傑選手、アジア大会制した井上大仁選手など、かつて箱根路を沸かせた選手の活躍が光っています。裏には、人気の高い箱根駅伝を終着点とせず、その先を見据えた意識がありそうです。

大迫選手は、1年生の時から箱根を走りつつ、長距離トラック競技で世界陸上やリオ五輪に出場しました。スピードを磨いたのちマラソンに転向。現在はより良い環境を求め拠点をアメリカに移しています。服部選手もまた、はやくから東京五輪を目指す覚悟を公言し、大学時代から積極的にマラソンに挑戦していました。マラソン強化の流れは、駅伝指導者にも影響を与えているようです。青学大陸上部の原監督は、「夏合宿の一番最初のミーティングでマラソンに挑戦したい選手は手を挙げろというところから始まる」とインタビューで話しています。

瀬古俊彦強化戦略プロジェクトリーダーを軸とした日本陸上競技連盟の改革も、復調の背景にありそうです。これまでの選考過程の不透明さに対する批判もあり、MGCの創設が決まりました。東京五輪とほぼ同じコースを走って、五輪選考レースを開くというものです。MGCの参加には指定競技大会での順位と記録のクリアが必要となるため、一度の好走だけでは代表切符を掴めません。結果的に、長期的なスパンでマラソンに取り組む若手が増えました。レースにおいても、積極的に攻める姿勢を生み出しています。

日本実業団陸上競技連合によるユニークな取り組みも興味深いです。実業団は企業をPRするために駅伝を重視するともいわれていましたが、マラソン日本記録を突破した選手に報奨金を支給する制度を創設しました。その金額は、破格ともいえる1億円。このような数々の大胆な改革が、功を奏しているといえそうですね。

お正月の風物詩、箱根駅伝が待ち遠しい季節になりました。今年出場する選手の中にも、未来の五輪ランナーが隠れているかもしれませんね。

参考記事 3日付 日本経済新聞 朝刊 13版 31面「服部勇 14年ぶり日本勢V

読売新聞 朝刊 13版 24面 「服部開花 初V

朝日新聞 朝刊 12版 13面 「一気の服部 失速克服」