『ロボットは無機質』は時代遅れか

SF映画によく登場する高性能ロボット。大ヒット映画の「ターミネーター」シリーズでは強靭なロボットが人間を巻き込んで殺戮を繰り広げます。より身近な「ドラえもん」も未来から来たロボットで、泣き虫な主人公を便利な道具で助けます。

昭和の半ばまではロボットという言葉ですらメジャーではなかったでしょうし、活躍の場は工場での組み立て作業が主でした。しかし、最近では大手携帯電話会社から人より一回り小さい話せるロボットが発売されたり、人工知能(AI)を搭載した家電が登場したりするなど、技術の進歩は目覚ましいものがあります。

こうした機械は性能の高さが勝負の舞台になることが多いですが、一風変わったロボットもあります。豊橋技術科学大学の岡田美智男教授が制作するのは「弱いロボット」。例えばごみ箱ロボットは足元のごみを拾うためのアームを持たず、紙くずを前に困った姿を見かねた人間がごみを放り込むのです。部屋をきれいにするために人の助けを引き出すロボットなのです。教授曰く「『弱さ』の社会実装に興味がある」。機械の能力が高くなるほど機械任せになり、人が本来できることも放棄してしまうかもしれない。そんな危惧から、逆に弱さを示すことで人の力も引き出し、協働するのが望ましい社会ではないかと考えるそうです。

AIやロボットが普及するにつれてしばしば議論されるのは「人が機械に支配されるのではないか」という論点です。いつか機械の性能が人間を超越し、機会が意思を持つのではないかと懸念されることがあります。そうならないためにも、機械化が避けられないこの社会、わざと弱いロボットがあると、少し安心できるかもしれませんね。

この記事を読んで、将来が少し明るく感じました。結局、人の能力が衰えない程度の適度な技術進歩がいいのでしょうか。

参考記事:

2日付 日本経済新聞14版31面(社会)「人に頼る「弱いロボ」」