嫌われたかな?と、思ったら

この人、私のこと嫌いなのかな。

と、思うことがたまにあります。話しかけても不自然にそっけなかったり、会話の中での言葉選びになんだかトゲがあるような。その人が私以外の人と話しているときは和やかなのに、私が話しかけるとどうにも表情が強張るのが見てわかる。でも、自分では相手に何かした覚えはない。なんでそんな態度をとられなければいけないんだろう、気分が悪いなぁ。

多かれ少なかれ、誰しもそんな経験をしたことがあると思います。本日の読売新聞朝刊、「人生案内」に掲載されたのもそんなお悩み。60代・自営業の女性は、長男の妻との関係に不満があるようで、長男の妻の心が不安定なのでは、と感じているそうです。長男の妻とはもともと一緒に事務の仕事に当たっていましたが会話がなく、「もう少し楽しく仕事をしたい」と話したところ「辞めます」と言って彼女は保育士の仕事を始めてしまったそう。家もゴミだらけで洗濯も行き届いておらず、育児は自分の実家任せ。食事も外食が多く、二人の子どもには宿題が終わるまで夕食を与えない、などということがあるそう。気持ちが不安定になっているのではと、心配する気持ちをつづった手紙と気持ちの持ち方などを解説した本を渡しましたが、彼女は気を悪くしただけだったようです。そんな長男の妻とどう付き合えばいいのか。

この投書に回答したのは作家の出久根達郎氏。「関係が悪くなったのには何かきっかけがあるのでしょう。相手を深く傷つけるような何気ない一言を言ってしまったのかもしれない。お嫁さんは国家資格を持って働いているようだから、余計な気を回さずに様子を見るのはどうか。本や手紙はもらう側の気持ちを考えて、自分がされたらただの嫌味だと思うでしょう。何か話すならお嫁さんではなく息子に話しなさい」と投稿者の女性をいさめていました。

この一件単体に関しての個人的な感想はいくつかありますけれど、他人様の家のことなので特に言及はしません。ひとつ言いたいことがあるとするなら、息子はもう少ししっかりした方がいい。共働きでないと不安な経済状況であっても夫婦二人いて家事を分担すれば家はゴミだらけにはならないでしょう。妻ができないなら夫がすればいいのです。家事をしない夫と、嫌味と感じられる口出しをしてくる姑に仕事のトリプルパンチを食らったら、そりゃあ気持ちも荒れるというものです。

心配する側の人間は、厚意のつもりでやっているのでそれを素気無く返されると「相手が間違っている。なぜそんな態度をとるのか」という心理になりがちです。特に嫁姑だったり、親子だったり、先輩後輩だったりそもそもの立場に上下関係が透けて見える関係だと、そういうことが顕著なのかな、という印象です。けれども、嫌だなと思っている相手からされることはたいてい嫌なのです。それが例え心配や厚意から来るものであっても。

さて、人間関係の希薄化なんてことが騒がれがちですが、平成の世に生まれた現代っ子としては、今までが濃すぎたと思っています。昔の温かい関わり合いはよかったというような意見はたくさん聞きますけれども、良い部分だけ拾い上げて見せたら良く見えるのは当たり前。田舎や家族の閉塞的で拘束力の強い関係に押し潰された、なんて話だって山のようにあります。今の世の中に適しているのは「調度良さ」なんだと思っています。難しいことですが。

嫌われる相手には何したって嫌われます。自分が相手の立場だったらどう思うか、考えるとわかりやすい。特に何をされたわけでもないけれど、なんだかこの人は嫌いだな、と思う相手には私だって冷たくなるし、あんまり関わりたくないなぁとも思います。得てしてそんなもの。家族だろうが同僚だろうが、その相手との関係性はあくまで偶然の産物ですから、とらわれないのが吉です。

ただ社会人として、大人として、嫌いな相手との調度良い距離感を見つけて、多少のイライラは抑えつつ、必要なコンタクトは取る。戦争だけは起こさないように。人間関係はお互い様です。嫌われるようなことをしてしまった方も悪いし、それをあからさまに態度に出してしまう方も幼い、でも無理なものは無理。その間にある調度良さを探した結果、「不干渉」だったとしても、お互いのためにそれがいいならそうしましょう。

仲が良いわけではない相手とも、会えばその場ではにこやかにできる。聞こえが悪い気がしますがよく考えてみてください。そういうことがきちんとできる人は優しくて賢く、貴重なのだなぁと最近思うばかりです。

参考記事:
11日付 読売新聞朝刊(大阪13版) 15面(くらし) 「人生案内 長男の妻こころが不安定?」