前日は父親の誕生日。ケーキで祝い晩酌を交わした後、両親は床に就きました。1995年1月17日、兵庫・尼崎。大きな揺れが私たち家族を襲いました。酔いも抜けきらない父親は、身を挺して私と兄を守りました─。阪神・淡路大震災の話になると、父は私に当時の様子を語ります。
被害はそれほど大きくなく、自宅も倒壊することはありませんでした。しかし、外の世界は一変していました。街灯は消え信号も機能停止。暗闇の中は、がれきの前に立ち往生する人たちであふれていました。避難しようにも動けない状態だったのです。
しばしば「震災を忘れてはいけない」「後世に伝えていかなければいけない」といいます。それ自体は当然です。将来起こりうる地震に備えるためにも、経験談は貴重です。しかし、私には全くイメージが浮かびません。大きな揺れやライフラインの不通、避難など、自分の身に起こるであろう事態を想像できません。
理由は簡単です。本当の意味で震災を経験したことがないからです。
当時、私は0歳11か月。もちろん記憶はありません。震災当日の様子は全て両親の経験談からの引用です。話を聞く度に「怖いなー」「備えておかないと」とは思います。裏を返せば、そう思う以外にないのです。どこか遠い話のように聞こえてしまい、「私には関係ない」と高をくくってしまう。これまでたくさんの経験談を聞いてきたのに、です。
あれから20年。震災を知らない世代は今後も増えていきます。「怖いなー」「備えておかないと」程度ではいけない─。そう自戒しながら、最善の方法はないかと模索しています。
【参考記事】
17日付 各紙朝刊(大阪14版)阪神・淡路大震災関連面