もしも私が宮川選手だったら

プロ野球選手を父に持つ少年が野球とともに成長しメジャーリーガーになる姿を描いたアニメ『メジャー』。高校生の時、主人公はライバル校との試合で大けがをします。それは、勝つために相手校の指導者が指示した意図的な行為でした。幼少期に見たこのアニメが、日本大学アメリカンフットボール部の危険なタックル問題と重なります。

内田前監督をはじめとした大学側は、相手選手を潰すよう指示したことを否定しています。ですが、選手に圧力を感じさせる指導者の言動があったはずです。もちろん、加害者である宮川選手の行為は許されるものではありません。しかし、ここでの最大の問題は、非人道的な行動にまで選手を追い詰めた背景にあるのではないでしょうか。選手は監督やコーチからの理不尽な命令を受け入れざるを得ない状況でした。

これは、スポーツに限った話ではありません。例えば、会社で上司から不条理な指示をされたとき。自分の将来がかかっている、家族を養わねばならない、そんな状況で拒否できるかと聞かれれば、難しいかもしれません。

外回りの女性たちが取引先や顧客の男性から、尊厳を傷つけられる例は少なくありません。

「『セクハラは拒んでいいが成績は上げろ』と言う上司は、嫌がらせは自己責任で甘受しろと暗に促しているに等しい」。

今朝の日本経済新聞の1面コラム「春秋」の一節です。ここでは、建前は志願制でも実態は限りなく強制に近かった特攻隊を例に挙げ、絶対的な権力を持つ上官の命令に背くことの難しさについても述べています。この組織構造は70年以上前から変わっていないのかもしれません。

戦後、GHQは戦争犯罪者をABCの3つに分類し、厳しく裁きました。A級戦犯は東條英機をはじめとした戦争を指導したとされる人。B級戦犯は、主に指揮・監督にあたった士官や部隊長など。C級戦犯は、直接捕虜の取り扱いにあたった下士官、兵士、軍属などです。BC級戦犯について描いた映画「私は貝になりたい」では、上官の命令で捕虜を刺殺したために、戦後、理髪師に戻っていた主人公がC級戦犯として処刑されてしまいます。当時の軍隊において上官の命令は絶対で拒めるものではありませんが、最後に責任を負ったのは主人公でした。

サッカー元日本代表の三浦知良選手は次のように述べています。

「大学の運動文化は馴染みの深いものかもしれない。でも『おい、お茶を持ってこい」と言われてお茶を持って行くのが本当の体育会系なのかな。デスクや仕事場についたなら、お茶を運ぶも何も、実力がすべて。その方がスポーツらしいよ」

日本に限らず海外のサッカー界でも起こる理不尽な上下関係ですが、監督と選手は五分と五分と思い、言い返し、口論し、歯向かってきたと言います。

結局のところ、上から指示されたとしても、やるかやらないか決めるのは自分自身。命令した側が咎められ責任を負うにしても、やってしまえば取り返しがつきません。自分を守れるのは自分しかいないのです。時代の流れとともに上下関係の厳しさは和らいでいるように感じますが、それでも上に従うべきだという価値観はまだまだ日本社会に残っています。

もちろん、非道徳的な命令をする指導者をなくすことが抜本的な解決策ですが、自分の上にそのような人がいたとき、最善の選択は何か。自分が宮川選手だったらどうしていただろうか。答えのでない問いに考えを巡らせています。

 

参考記事

25日付 朝日新聞朝刊(東京14版)14面(オピニオン)「選手の悲鳴受けとめよ」、関連記事39面

同日付 日本経済新聞朝刊(東京14版)1面「春秋」、関連記事37面

同日付 日本経済新聞朝刊(東京13班)35面(スポーツ)「「理不尽」の限界」

同日付 読売新聞朝刊(東京13版)3面(総合)「選手を追い詰めた責任は重い」、関連記事35面